今日の通読箇所:テモテへの手紙二2、イザヤ書60~62
イザヤ書60~62;
主イエス・キリストが安息日に会堂に入り、そこで聖書を朗読し、「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した(ルカ4:21)」と宣言されたことがあります。その時に主イエスが朗読されたのが、今朝の御言葉です。
「主なる神の霊が私に臨んだ。主が私に油を注がれたからである。苦しむ人に良い知らせを伝えるため、主が私を遣わされた。心の打ち砕かれた人を包み、捕らわれ人に自由を、つながれている人に解放を告げるために。主の恵みの年と、私たちの神の解放の人を告げ、すべての嘆く人を慰めるために(61:1~2)」。
主が宣言する恵みの年は、人間が、神に造られた者としての人間らしさを取り戻す日です。神がその独り子を与えてご自分のものとしてくださったものとして、その尊厳の回復が告げられる日です。
「起きよ、光を放て。あなたの光が来て、主の栄光があなたの上に昇ったのだから(60:1)」と言います。私は、最初この言葉を耳にして、怯んでしまいました。光を放てと言われても・・・。しかし、この光は、私たち自身が発光体になることではありません。「あなたにとって太陽が再び昼の光となることはなく、月が夜の明かりとなってあなたを照らすこともない。あなたにとって、主がとこしえの光となり、あなたの神があなたの誉れとなる。あなたの太陽は再び沈むことがなく、あなたの月は欠けることがない。主があなたにとって、とこしえの光となり、あなたの嘆きの日々は終わる(60:19~20)」。神様ご自身が、私たちの光となってくださいます。私たちに恵みの年を告げ、神の救いを宣言したお方が、私たちの救いそのものになってくださる。このキリストの光に、私たちは照らされている。今日は、神の恵みの日です。今日は、救いの日です。神の光、キリストという明かりに、私たちは今照らされています。
イザヤ書60~62;
主イエス・キリストが安息日に会堂に入り、そこで聖書を朗読し、「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した(ルカ4:21)」と宣言されたことがあります。その時に主イエスが朗読されたのが、今朝の御言葉です。
「主なる神の霊が私に臨んだ。主が私に油を注がれたからである。苦しむ人に良い知らせを伝えるため、主が私を遣わされた。心の打ち砕かれた人を包み、捕らわれ人に自由を、つながれている人に解放を告げるために。主の恵みの年と、私たちの神の解放の人を告げ、すべての嘆く人を慰めるために(61:1~2)」。
主が宣言する恵みの年は、人間が、神に造られた者としての人間らしさを取り戻す日です。神がその独り子を与えてご自分のものとしてくださったものとして、その尊厳の回復が告げられる日です。
「起きよ、光を放て。あなたの光が来て、主の栄光があなたの上に昇ったのだから(60:1)」と言います。私は、最初この言葉を耳にして、怯んでしまいました。光を放てと言われても・・・。しかし、この光は、私たち自身が発光体になることではありません。「あなたにとって太陽が再び昼の光となることはなく、月が夜の明かりとなってあなたを照らすこともない。あなたにとって、主がとこしえの光となり、あなたの神があなたの誉れとなる。あなたの太陽は再び沈むことがなく、あなたの月は欠けることがない。主があなたにとって、とこしえの光となり、あなたの嘆きの日々は終わる(60:19~20)」。神様ご自身が、私たちの光となってくださいます。私たちに恵みの年を告げ、神の救いを宣言したお方が、私たちの救いそのものになってくださる。このキリストの光に、私たちは照らされている。今日は、神の恵みの日です。今日は、救いの日です。神の光、キリストという明かりに、私たちは今照らされています。