2019年9月30日月曜日

2019年9月30日(イザヤ書65〜66)

今日の通読箇所:テモテへの手紙二4、イザヤ書65~66

イザヤ書65~66;
私を求めなかった者に私は尋ね出され、私を探さなかった者に見出された。私の名を求めなかった国民に「私はここにいる。私はここにいる」と言った。(65:1)
神様は私たちにご自分を示してくださいます。「私はここにいる」と言って、神様は私たちと出会ってくださいます。神様の私たちへの振る舞いは、因果の関係から言ったら、全く破れていると思います。私たちが神様を求めたからご自分を示されるのではなく、私たちは神様を求めることも、探すこともなかったのに、神様は「私はここにいる。私はここにいる」と言って出会ってくださいました。その神と私たちとの出会いの究極的なかたちが、主イエス・キリストに他なりません。
キリストが私たちのところに来られたのは、私たちを新しくするためです。「見よ、私は新しい天と新しい地を創造する。先にあったことが思い出されることはなく、心に上ることもない。しかし、私が創造するものを代々とこしえに楽しみ、喜べ(65:17~18)」。この新しい天と新しい地のヴィジョンは、ヨハネの黙示録にまで引き継がれます。神様が、すべてを究極的に新しく、また完成させてくださるときが来る。救いの完成の日です。キリストが、そのために、定められた日にもう一度私たちのところへ来てくださいます。私たちの「今日」という日は、再び来てくださるキリストを待つ一日です。
だから、主の御前に、へりくだって今日という一日を歩みたいと願います。「私が目を注ぐのは、苦しむ人、霊の打ち砕かれた人、私の言葉におののく人(66:2)」。主の言葉を聞き、主に従い、主を畏れて礼拝するために、私たちはこの新しい一日の命を与えられました。
「主はこう言われる。見よ、私は彼女に与える。平和を、大河のように。国々の繁栄を、大河の流れのように。あなたは乳を飲み、脇に抱かれ、膝の上であやされる。母がその子を慰めるように、私はあなたがたを慰める(66:11~13)」。この救いの日、恵みの日が、必ず来ます。キリストがすべてを新しくし、私たちを全き慰めと安息に入れてくださる日が。その日を目指して、私たちは今日という一日の営みへと、ここから送り出されていきます。

2024年12月26日の聖句

私が主、彼と共にいる彼らの神であり、彼らがわが民イスラエルの家であることを、彼らは知るようになるーー主なる神の仰せ。(エゼキエル34:30) 今日ダビデの町に、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。(ルカ2:11) 天使が羊飼いたちに向かって宣言し...