2020年5月30日土曜日

2020年5月30日(ルカによる福音書23:26~55)

ルカによる福音書23:26~55
そして、「イエスよ、あなたが御国へ行かれるときには、私を思い出してください」と言った。するとイエスは、「よく言っておくが、あなたは今日私と一緒に楽園にいる」と言われた。

イエスが十字架にかけられたとき、右と左にも十字架が立てられ、それぞれに犯罪人が磔になっていました。イエスさまは犯罪人の一人に数えられて、死刑にされました。そのうちの一人が、イエスに言ったのです。「イエスよ、あなたが御国へ行かれるときには、私を思い出してください」と。主イエスはそれに答えて、「よく言っておくが、あなたは今日私と一緒に楽園にいる」と言われました。
「あなたは今日私と一緒に楽園にいる」というのは、私もあなたも今日中に死ぬから、そうしたら極楽にいけるよ、という意味ではありません。ルカによる福音書では「今日」という言葉は独特な響きを持っています。
野宿をしながら羊の群れの版をしていた羊飼いたちに、天使は言いました。「今日ダビデの町に、あなたがたのための救い主がお生まれになった。」ここでの「今日」には確かに今晩という意味もあるでしょうが、それだけではありません。「今まさに」とか、「神さまの機が今こそ満ちて」といった意味があることは明らかです。
主イエスはある安息日に会堂に入り、聖書を朗読しました。「主の霊が私に臨んだ。貧しい人に福音を告げ知らせるために、主が私に油を注がれたからである。主が私を遣わされたのは、捕らわれている人に解放を、目の見えない人に視力の回復を告げ、打ちひしがれている人を自由にし、主の恵みの年を告げるためである。」そして、主イエスは「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」と告知しました。主が福音を宣言する「今日」というのは、私たちが聖書を読む「今日」のことです。今日、主の恵みの年が告げられ、現実のものとなりました。
徴税人ザアカイの家でも、主は「今日、救いがこの家を訪れた」と宣言しています。
このように、ルカが「今日」と言うとき、それはイエスの告げる福音が現実のものとなった「今日」、私たちの救いが実現した「今日」のことです。
主イエスは犯罪人に言います。「あなたは今日、私と一緒に楽園にいる。」主イエスがおられるところ、そこが楽園です。だから、イエスと共に私たちがおり、そこで福音の宣言を聞くならば、そこが楽園です。苦しみの中にあっても、私たちはキリストを信じて楽園に生きることができる。そのような「今日」が、私たちにも到来しています。

2024年4月25日の聖句

救いは主のもの。 あなたの民の上に祝福を。(詩編3:9) イエスは手を上げて彼らを祝福された。(ルカ24:50) 主イエス・キリストは復活して40日間弟子たちと共におられ、その後、天に昇って行かれました。その時、主イエスは手を上げて弟子たちを祝福し、その恰好のままで天に上げられて...