2020年8月28日金曜日

2020年8月28日(コリントの信徒への手紙二10)

コリントの信徒への手紙二10
「目の前の事柄を見なさい。自分はキリストのものだと確信している人がいるなら、その人は、自分と同じく私たちもキリストのものであることを、もう一度よく考えてみなさい。あなたがたを打ち倒すためではなく、造り上げるために主が私たちに授けてくださった権威について、私がいささか誇り過ぎたとしても、恥にはならないでしょう。」
コリント教会にはパウロに強い敵対心を抱いている者が多くいたということは再三指摘してきましたが、今日の箇所は、そういう事情が前面に出てきています。パウロの人格に対する攻撃にまでエスカレートしています。「あなたたがたの間で面と向かっては弱腰だが、離れていると強気になる、と思われている、この私パウロ」と言っています。手紙は立派だが実際に会ってみるとつまらん。手紙では威勢が良いことを言っても、実態は弱気で頼りにならない。
私は実際に面と向かうと何を言ったらいいのか分からないということがしょっちゅうあります。パウロもそういうところがあったのだとしたら、その気持ちはよく分かる。パウロは何を言って良いのか分からないと言うことではなかったかもしれませんが、いずれにしても訥弁であることでかなりなじられていたようです。あるいはむしろそもそもパウロに敵対していたので、パウロのそういう性格もますます悪く見えたということであったのかも知れません。
しかし、パウロはそう言われても怯むことはありませんでした。なぜなら、パウロの口に預けられていたのがキリストの福音の言葉であるからです。福音を語るように言われている以上、弱気になんてなってはいられない。だから、コリント教会の人々、特に自分に敵対している人に手紙を書き送ったのです。彼は告げます。あなたがキリストのものであるのと同じように、私もキリストのものだということを思い出してもらいたい、と。神様は、パウロの口に権威を与えてくださった。その権威に服従してもらいたい。その権威はあなたたちを押さえつけ、私の言いなりにさせようという権威なんかじゃない。あなたたちを造り上げるための権威。神のものとしてのあなたを確かにする権威。キリストの福音を告げる権威に他ならない。パウロはそのように言います。
パウロは、ただキリストだけを誇ります。自分自身を誇るようなことはしません。ただキリストだけに寄りかかって私たちの前に立つこの人物は、キリストの権威だけに頼り、これに従う幸いを私たちに証ししています。

2025年1月13日の聖句

空しいものを見ないよう、私の目をそらせてください。(詩編119:37) あなたの目は体の灯である。目が澄んでいれば、あなたの全身も明るいが、目が悪ければ、体も暗い。(ルカ11:34) 目は体の灯なのであって、目が澄んでいれば全身も明るくなる。ところが目が濁っていて見ることができず...