2020年9月25日金曜日

2020年9月25日(テモテへの手紙一5)

テモテへの手紙一5
「年長の男性を叱ってはなりません。むしろ、父親と思って諭しなさい。若い男性は兄弟と思い、年長の女性は母親と思い、若い女性には常に純潔な思いで姉妹と思って諭しなさい。」
教会に来ている具体的な顔を持つ多様な人々と共に一つの共同体を形成する秘訣がここに書かれているのだと思います。この章を読んでいくと、若いやもめや年を取ったやもめ、罪を犯したという疑いが向けられた長老、自身の自己管理のことなどが書かれています。当時の社会的な背景をよくわきまえるべき言葉が多いと思います。
例えば、若いやもめは罪を犯さないように早く再婚しなさいと言っていますが、これをそのまま現代に適用するわけにはいかないと思います。聖書に収められた諸文書は一般論を述べているのではなく、もともとある特定の時代に、特定の文化圏に生きる信仰者に向けて書かれたものです。今私たちが読んでいるのは、その中でも特定の差出人から特定の宛先へ出された「手紙」です。その特殊な事情を持つ文書が、キリストを証言する言葉であるという点において神の言葉として語り出し、また神の言葉として聞かれる。それは聖霊なる神様の御業です。ですので字面だけに目を奪われるのではなく、中心的なメッセージは何かということに積極的に耳を傾ける姿勢が欠かせないと考えています。
このメールの冒頭の言葉は5:1~2ですが、ここを読むと、お互いに対する基本的な尊敬を持つことの大切さを思わされます。年長の男性は父親と、年長の女性は母親と、若い男性は兄弟と、若い女性は姉妹と思って接する。尊敬と愛情を前提にした人間関係です。やもめは、特に社会的に弱い立場にある人です。聖書は旧約の時代から一貫してやもめの立場を擁護してきました。孤児や寄留者も同じです。彼ら・彼女らを守ることは、教会に神様が期待していることです。社会的に排除される者も、キリストにあって尊敬し、受け入れるべき存在です。何よりも、キリストご自身が決してやもめを蔑ろにはしないお方です。
聖書の中心的なメッセージは、キリストです。ですので、私たちの人間関係を考えるときにも、キリストに集中して捉え直すということが大切なのだと思います。キリストは、今この人に何をしておられるのか?その点における想像力を抱き、キリストがこの人と私との間にいてくださることに気づくとき、まさに教会の中心にキリストがおられることに私たちは気づくのです。

2025年1月4日の聖句

主よ、まことの神よ。 私の霊を御手に委ねます。 あなたは私を贖われた。(詩編31:6) それゆえ、憐れみを受け、恵みにあずかって、時宜に適った助けを受けるために、堂々と恵みの座に近づこうではありませんか。(ヘブライ4:16) 「あなたは私を贖われた。」神が私たちをご自分のものとし...