2020年9月26日土曜日

2020年9月26日(テモテへの手紙一6)

テモテへの手紙一6
「もっとも、満ち足りる心を伴った敬虔は、大きな利得の道です。私たちは、何も持たずに世に生まれ、世を去るときは何も持っていくことができないからです。食べる物と着る物があれば、私たちはそれで満足すべきです。金持ちになろうとする者は、誘惑、罠、無分別で有害なさまざまな欲望に陥ります。その欲望が人を破滅と滅亡へと突き落とすのです。金銭の欲が諸悪の根源だからです。金銭を追い求めたために、信仰から迷い出て、さまざまな苦痛でわが身を刺し貫いた者たちもいます。
しかし、神の人よ、あなたはこれらのことを避けなさい。正義、敬虔、信仰、愛、忍耐、柔和を追い求めなさい。信仰の戦いを立派に闘い抜いて、永遠の命を獲得しなさい。あなたは、そのために召され、多くの証人の前で立派に告白をしたのです。」

この聖書の言葉を読んで、私にはとても痛い言葉でした。金銭の欲が諸悪の根源だと言っています。はっきり言って、私は金銭の欲に弱いです。だから、とても痛い言葉です。金銭を追い求めたために、信仰から迷い出て、さまざまな苦痛でわが身を刺し貫いた者たちもいると言います。自分と関係が無い話だとはどうしたって言えません。確かに死ぬときには何も持って行かれないですが、それまでの間はお金がなくては生きていかれないし、少ないよりは多い方が好い。それが正直なところです。
主イエスは言われます。「貧しい人々は、幸いである。神の国はあなたがたのものである」(ルカ6:20)。これは、主イエスの言葉として聞くということ以外の聞き方は赦されない言葉であると思います。そうでないと、ただのきれい事になりかねない。しかし主イエスが語る言葉であるのであれば、これは福音の言葉です。貧しい者のために神の国を来たらせるという約束を伴った宣言だからです。
パウロは言います。「ポンティオ・ピラトの面前で立派な告白をして証ししたキリスト・イエスの前で」と。私のために貧しくなり、私のためにピラトの面前で告白をし、私のために十字架にかけられたキリスト。この方は、私のために神の国の到来を宣言するために十字架にかかり、ご自身のすべてを献げました。
私は自分の金銭の欲への弱さを、キリストの前で、悔い改めをもって思い巡らします。そういう誘惑への弱さが自分の中からすっかり消え去ってしまうということは簡単ではありません。しかしキリストへの敬虔はその誘惑に打ち勝つ力であると信じています。このキリストが教えてくださったからです、「我らを試みに遭わせず、悪より救い出したまえ」という祈りを。

2024年4月26日の聖句

神を畏れ、その戒めを守れ。これこそ人間のすべてである。(コヘレト12:13) (イエスの言葉)「第一の戒めは、これである。『聞け、イスラエルよ。私たちの神である主は、唯一の主である。心を尽くし、魂を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』第二の戒めは...