2021年4月26日月曜日

2021年4月26日(詩編119:9~16)

詩編119:9~16(ベト)
私はあなたの掟を楽しみとし
あなたの言葉を忘れません。(16節)

私の持っていたイメージではおよそ結びつかない言葉が結びつけられていました。「私はあなたの掟を楽しみとし」と言うのです。「掟」と「楽しみ」とは、およそかけ離れたものだと思っていました。しかし、この詩編は神の掟を楽しむと言っています。神さまが与えてくださった掟に従うことは、楽しいこと。それは神さまを信じることが楽しいことだからです。この詩編を読むことによって、私たちはそのことに気付きます。
神さまに従うのは、しかめっ面をしてすることではありません。楽しいことです。掟という言葉が持っているイメージは、精進してそれを守ること、厭でも絶えなければならないこと、というような気がします。もしも「掟」が、誰かどこかの偉い人に無理矢理命じられて、仕方なく従わなければならないものだとしたら、それは楽しいとは言えないと思います。「自粛要請」に喜んで従う人は少ないと思います。しかし、神さまの掟はそうではありません。
神さまが私たちに与えた掟の代表である十戒は、このように始まっています。「私は主、あなたの神、あなたをエジプトの地、奴隷の家から導き出した者である」(出エジプト記20:2)。神さまは、奴隷の家から導き出し、救い出した者に掟を与えます。かつては奴隷であった者が再び奴隷とならないために、自由に生きるための指針として、喜んで生きるための道案内として、掟をお与えになったのです。
自由に生きているつもりでいながら、私たちはしばしば何かの奴隷になります。願望の奴隷であったり、人目や世間体の奴隷であったり。しかし神さまは私たちを奴隷にはしておかれません。奴隷の家から解放してくださったのですから。私たちは自由な愛の選択として、神さまに従います。神さまを信じることを楽しみます。人間らしく生きることのできる広い場所が、ここに広がっているのです。神さまが私たちを自由にしてくださいました。人間らしく生きる道を拓いてくださいました。私たちは奴隷としてではなく神さまに従う者として生きる自由へ、招かれています。

2024年12月26日の聖句

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