2021年7月13日火曜日

2021年7月13日(箴言24)

箴言24
子よ、蜜を食べよ。実に良いものだ。
滴る蜜は口に甘い。
魂にとって知恵も同じと知れ。
それを見出せば、未来があり
  希望が絶たれることもない。(13~14節)

蜜、しかも滴る蜜と言っているのですから、恐らく直接花から蜜を吸っているというのではなくて蜂蜜のことなのでしょう。蜂蜜は、現代とは比べものにならない貴重なものだったはずです。先日、教会の二階の戸袋に蜂のたまり場ができていました。このままではきっと巣を作ったに違いない。こちらが何もしなければ蜂も襲ってはこないのでしょうが、小心者の私には恐怖でした。今のような養蜂技術がない時代に蜂蜜を得るというのは大変なことだったろうと思います。そして、その甘みのなんと魅力的なことでしょう!「子よ、蜜を食べよ。実に良いものだ。滴る蜜は口に甘い。」
口にとっての蜜の甘さは、魂にとっての知恵の甘さだ、と言います。知恵、それは主を畏れることに始まる知恵の言葉。この箴言の言葉であり、私たちにとっては聖書の言葉そのものと言うことができます。御言葉のなんと甘美で、魅力的なことか!
私たちの信仰生活は、旅です。旅の途中には喜びの日もありますが、厭な日もあります。神さまを信じることを本当に幸せと思える日もあれば、砂をかむような思いで過ごす日もあります。私たちの旅のために、神さまは私たちに御言葉をくださいました。神さまの御言葉、聖書の御言葉が、私たちの信仰生活の旅路を導く杖であり、私たちの歩みを照らす灯であり、甘美な食物です。食べても食べてもおいしく感じられないこともあるかも知れません。しかし、それは、離乳食が終わったしるしです。乳飲み子は甘い母乳しか与えられませんが、一生そのままというわけにはいかない。やがて乳離れして固かったり苦かったり、食べにくい物を食べるようになります。その栄養が必要だから、神さまは私たちにそういう食べ物をお与えになったのです。しかし、根本的には神さまの御言葉という食べ物は甘いのです。蜜のように楽しい食事です。そこには神の愛と恵みの贈り物が込められているからです。
だから、箴言は言います。「それを見いだせば、未来があり、希望が絶たれることもない。」望みがないように見えるところで私たちに望みを与えるのは、神さまの御言葉です。この甘美な食物は必ず私たちを生かし、キリストという永遠の喜びに私たちを導くのです。

2024年4月25日の聖句

救いは主のもの。 あなたの民の上に祝福を。(詩編3:9) イエスは手を上げて彼らを祝福された。(ルカ24:50) 主イエス・キリストは復活して40日間弟子たちと共におられ、その後、天に昇って行かれました。その時、主イエスは手を上げて弟子たちを祝福し、その恰好のままで天に上げられて...