箴言25
棍棒、剣、鋭い矢
それは友人について偽りの証言を立てること。
悪い歯、揺らぐ足
それは苦難の日に裏切り者を頼りにすること。
寒い日に衣を脱がせ、傷の上に酢を注ぐ。
それは苦しむ心に向かって歌を歌うこと。
あなたを憎む者が飢えているならパンを食べさせ
渇いているなら水を飲ませよ。
こうしてあなたは彼の頭に炭火を積み
主はあなたに報いてくださる。(18~22節)
「あなたを憎む者」というのは、私たちが苦しみ、悲しんでいる日に喜んで歌を歌い、寒い日に脱がせ、傷にしみる酢を注ぎかけてくる者のことでしょう。私について偽りごとを噂し、私を裏切る者のことでしょう。その人が飢えているときにパンを食べさせよ。その人が渇いているなら水を飲ませよ。聖書は私たちにそのように語りかけます。
マタイによる福音書第18章の一万タラントンの借金がある僕の話を思い起こすことができると思います。一万タラントンという天文学的な借金をしている僕、彼は当然自分の借金を返すことができませんでした。本当であれば、自分も奴隷として身売りし、家族も同じようにして、死ぬまで働いて返さねばなりません。それでも返すことは不可能です。なんとか赦してくださいと懇願する彼を見て、彼に金を貸していた主君は憐れに思い、彼を赦してやりました。彼は喜んで帰りましたが、その道で自分が100デナリオン貸している友人に会い、早く返せと首を絞め、この友達を牢にぶち込んでしまいました。そのことを知って主人は怒りました。
「あなたを憎む者が飢えているならパンを食べさせ、渇いているなら水を飲ませよ」と言った後、箴言は続けて「主はあなたに報いてくださる」と言います。主なる神様が私に何をしてくださっているのかということ抜きには、飢えている敵にパンを食べさせたり、渇いている敵に水を飲ませたりすることは、できないことです。しかし逆に神さまが私に何をしてくださったのかを知ったとき、私たちの憎む者、あるいは私を憎んでいる人との関わり方が変わるはずだ、変わらないわけにはいかないはずだ、と聖書は私たちに語りかけてきます。
棍棒、剣、鋭い矢
それは友人について偽りの証言を立てること。
悪い歯、揺らぐ足
それは苦難の日に裏切り者を頼りにすること。
寒い日に衣を脱がせ、傷の上に酢を注ぐ。
それは苦しむ心に向かって歌を歌うこと。
あなたを憎む者が飢えているならパンを食べさせ
渇いているなら水を飲ませよ。
こうしてあなたは彼の頭に炭火を積み
主はあなたに報いてくださる。(18~22節)
「あなたを憎む者」というのは、私たちが苦しみ、悲しんでいる日に喜んで歌を歌い、寒い日に脱がせ、傷にしみる酢を注ぎかけてくる者のことでしょう。私について偽りごとを噂し、私を裏切る者のことでしょう。その人が飢えているときにパンを食べさせよ。その人が渇いているなら水を飲ませよ。聖書は私たちにそのように語りかけます。
マタイによる福音書第18章の一万タラントンの借金がある僕の話を思い起こすことができると思います。一万タラントンという天文学的な借金をしている僕、彼は当然自分の借金を返すことができませんでした。本当であれば、自分も奴隷として身売りし、家族も同じようにして、死ぬまで働いて返さねばなりません。それでも返すことは不可能です。なんとか赦してくださいと懇願する彼を見て、彼に金を貸していた主君は憐れに思い、彼を赦してやりました。彼は喜んで帰りましたが、その道で自分が100デナリオン貸している友人に会い、早く返せと首を絞め、この友達を牢にぶち込んでしまいました。そのことを知って主人は怒りました。
「あなたを憎む者が飢えているならパンを食べさせ、渇いているなら水を飲ませよ」と言った後、箴言は続けて「主はあなたに報いてくださる」と言います。主なる神様が私に何をしてくださっているのかということ抜きには、飢えている敵にパンを食べさせたり、渇いている敵に水を飲ませたりすることは、できないことです。しかし逆に神さまが私に何をしてくださったのかを知ったとき、私たちの憎む者、あるいは私を憎んでいる人との関わり方が変わるはずだ、変わらないわけにはいかないはずだ、と聖書は私たちに語りかけてきます。