2021年10月26日火曜日

2021年10月26日の聖句

ある者は戦車を、ある者は馬を信頼する。しかし私たちは私たちの神、主のみ名に思いを寄せる。(詩編20:8)
自分に定められている競争を忍耐強く走りましょう。信仰の創始者であり、完成者であるイエスを見つめて。(ヘブライ12:1~2)

昨日、保育園に行って祝福式の礼拝のお手伝いをしました。子どもたち一人ひとりの名前を呼んで、祝福の祈りをしました。コロナの前は一人ひとりの頭に手を置いていたのですが、今保育園ではそれはできません。来年にはできればと願っています。子どもたちのための祝福の祈りをする前に、聖書のお話をしました。今週私に割り当てられていた聖書の御言葉を読みました。中風の人をイエスさまのところへ連れて来た四人の友達の話です。屋根に穴を開けて病人をつり降ろしたと放したら、子どもたちが「エー!」と言ってびっくりしながら聞いてくれました。楽しい時間でした。この子たちが、イエスを見つめて歩む人生を送ってほしいと切に願います。
「自分に定められている競争を忍耐強く走りましょう。信仰の創始者であり、完成者であるイエスを見つめて。」私たちはイエスを見つめて走るとき、行くべき道を進むことができるし、その道を走ることに勇気を持つことができるのです。
私はマラソンはしたことがありません。42キロもの距離をどんなことを考えながら走っているのだろうと思います。世界のトップアスリートでも二時間以上かかります。大変な競技です。この大変な競技も、ゴールがあるから走れるのだと思います。ゴールの場所が分からないで走り出すことはありません。10キロ地点なのか、40キロなのか、100キロ走ってもゴールにたどり着かないのか。それが分からなければどのように走ったら良いのか分からないのではないかと思います。
私たちは、キリストを見つめながら自分に定められたを走ります。私たちの人生の競争は、マラソンのように長い距離の人もいれば、短い時間で走り終える人もいます。端から見るとなだらかに見える道の人も、非常に険しい道の人もいる。それは神さまが長駄目になった競争です。距離は決まっていない。しかし、私たちはキリストを見つめて走ります。その点は同じ。そして、キリストを見つめて走るからこそ、私たちはゴールを目指して忍耐強く走ることができる。栄冠に輝くとき、必ずキリストが迎えてくださるからです。
私たちの今日一日が、キリストを見つめながら進むものでありますように。キリストの祝福の中で走る一日でありますように。

2024年4月16日の聖句

私の神である主は、私の闇を光となしてくださる。(詩編18:29) これは我らの神の憐れみの心による。この憐れみによって、高い所から曙の光が我らを訪れ、暗闇と死の陰に座している者たちを照らし、我らの足を平和の道に導く。(ルカ1:78~79) 主なる神さまの憐れみの心によって。これが...