2021年11月2日火曜日

2021年11月2日の聖句

あなたの太陽はもはや沈むことなく、あなたの月は光が陰ることがない。主があなたのとこしえの光となるからだ。(イザヤ60:20)
私は光として世に来た。私を信じる者が闇の中に留まることのないためです。(ヨハネ12:46)

今朝のイザヤ書の御言葉は、ヨハネの黙示録にもとてもよく似た言葉が記されています。「この都には、それを照らす太陽も月も、必要でない。神の栄光が都を照らしており、小羊が都の明かりだからである。」小羊というのは主イエス・キリストのことです。キリスト御自身が私たちの明かりになってくださる。だから太陽も月ももはや必要なくなる。これは天の都のことです。神の都では主イエス御自身が明かりとなって私たちを照らしてくださるのです。
「あなたの太陽はもはや沈むことなく、あなたの月は光が陰ることがない。主があなたのとこしえの光となるからだ。」この旧約の預言者が言う太陽や月も、明らかに空に浮かんでいる自然の太陽や月のことではありません。沈むことのない太陽、陰ることのない月、それは私たちを照らしてくださる主なる神様という光を指す。やはりここでも、神様ご自身が私たちの光となってくださると言う。それが神さまの私たちへの約束です。
神さまが私たちの光となってくださるというのは、聖書の中で繰り返し告げられていることです。光が福音の象徴になるのは、私たちが光を必要としているからです。今、私たちが暗闇の中に生きているからです。今週の日曜日に預言者エレミヤの言葉を読みました。エレミヤは神さまがお造りになった世界、そこにあったはずの愛の秩序が崩れ、世界が混沌に突き進んでいると言っていました。そのことを深く痛んでいました。預言者は暗闇を見ていた。私たちには、私たちの世界を覆っている暗闇が見えているでしょうか。もしもエレミヤのように私たちが痛んでいないのだとしたら、それはネオンの光で夜の闇をごまかす社会に慣れすぎてしまっているからなのかも知れません。
キリストは言われます。「私は光として世に来た。私を信じる者が闇の中に留まることのないためです。」私たちは、暗闇の中にいる。しかしその暗闇にキリストという光が射した。キリストの光の中を、キリストという明かりに照らされて、私たちは今日この新しい一日に歩み出していきます。

2024年12月26日の聖句

私が主、彼と共にいる彼らの神であり、彼らがわが民イスラエルの家であることを、彼らは知るようになるーー主なる神の仰せ。(エゼキエル34:30) 今日ダビデの町に、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。(ルカ2:11) 天使が羊飼いたちに向かって宣言し...