2021年11月8日月曜日

2021年11月8日の聖句

神よ、私が床に伏せるとき、あなたを想い、目覚めて横たわるとき、あなたについて思案します。(詩編63:7)
今は一部分しか知りませんが、その時には、私が知られているように、知ることになります。(1コリント13:12)

床に伏せるときに想い、目覚めて横たわっているときに思案する。まるで恋をしている人のようです。まるで、というよりも、そういうことなのかも知れません。恋いこがれるみずみずしい思いを、神さまに向ける。一日を終えて床に伏せるときにも、神さまを思っている。目覚めて、しかしまだ横になっているときにも神さまのことを思い巡らしている。主なる神様への、主イエス・キリストへのまっすぐな愛。そういう清らかな心で眠りにつき、また目覚めるとは、なんと幸いなことでしょう。
神さまを信じる喜びは、こういう喜びです。神さまを信じるというのは、難しい知識をため込んだり、聖書の歴史や言語に詳しくなることではありません。主イエス様を愛することです。主イエス様に焦がれて、夜も朝も慕い求めることです。
「今は一部分しか知りませんが、その時には、私が知られているように、知ることになります。」ここには「知る」という言葉が繰り返されています。愛する人のことは、もっと知りたい。中高生になった気持ちで想像してください。好きな人、気になりだした人のことはもっと良く知りたいものです。それだけではなくて自分のことももっと知ってほしい。この言葉は、コリントの信徒への手紙第13章、「たとえ、人々の異言、天使たちの異言を語ろうとも、愛がなければ、私は騒がしいどら、やかましいシンバル」という言葉から始まる、愛の言葉、あの美しい御言葉です。愛するとは、知ることであり、知られることです。愛するキリストをもっと知りたい。私たちはそう願うけれども、キリストを知ったときに気づかされるのは、私がキリストを知る前からキリストは私を知っていてくださったということです。深く、私を知り尽くし、その上で私を愛し抜いてくださった。
今日の目覚めも、私たちはキリストの愛の中で頂きました。今日、床に就くときにも、私たちはキリストの愛の中で一日を終えます。主イエス・キリストの愛と恵みが、あなたの一日を彩っています。

2024年12月26日の聖句

私が主、彼と共にいる彼らの神であり、彼らがわが民イスラエルの家であることを、彼らは知るようになるーー主なる神の仰せ。(エゼキエル34:30) 今日ダビデの町に、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。(ルカ2:11) 天使が羊飼いたちに向かって宣言し...