2022年1月15日土曜日

2022年1月15日の聖句

彼は私たちの背きのために傷つけられ、私たちの過ちのために打ち砕かれた。(イザヤ53:5)
神は、罪を知らない方を、私たちのために罪となさいました。私たちが、その方にあって神の前に通用する義となるためです。(2コリント5:21)

改革者マルティン・ルターが『キリスト者の自由』という本を書きました。この中に、私の大好きな言葉があります。
「信仰は、魂が神のことばと等しくなり、すべての恩恵で充たされ、自由で救われるようにするばかりでなく、新婦が新郎とひとつにされるように、魂をキリストとひとつにする。この結合から、聖パウロも言っているとおり〔エフェソ5:30〕、キリストと魂とはひとつのからだとなり、両者の所有、すなわち、幸も不幸もあらゆるものも共有となり、キリストが所有なさるものは信仰ある魂のものとなり、魂が所有するものはキリストのものとなる、という結果が生じる。ところでキリストは一切の宝と祝福とを持っておられるが、これらは魂のものとなり、魂は一切の不徳と罪とを負っているが、これらはキリストのものとなる。ここに今や喜ばしい交換と取り合いとが始まる。キリストは神であって人であり、まだ一度も罪を犯したことがなく、その義は打ち破られることなく、永遠で全能であるので、信仰をもつ魂の罪を、その結婚指輪、すなわち信仰によってご自分のものとされ、あたかもご自分がその罪を犯したかのようになさるのである。すると罪はキリストの中に呑み込まれ、溺れさせられてしまう。なぜなら、キリストの打ち破られることのない義はすべての罪に対してあまりにも強いからである。こうして魂は、ただその結納品、すなわち信仰のゆえに、自分のすべての罪から免れ、自由となり、新郎キリストの永遠の義を与えられる。富んだ、高貴で義である新郎キリストが、貧しく、いやしく、悪い娼婦をめとって、すべての悪から解放し、すべての財貨をもって飾ってくださるとしたら、それは喜ばしい結婚ではないか。」
少し長い引用でしたが、ぜひ何度か繰り返し読んでください。私はここに出て来る「結婚指輪」というところが好きです。キリストの花嫁にして頂いた私たちは、自分がもっていた借金、罪がすべてキリストのものとなりました。代わって、キリストの持っていたあらゆる良いものが花嫁である私たちのものとなりました。私たちはキリストの高貴さにあずかって義とされ、キリストは私たちの罪を引き受けて罪人として十字架にかけられたのです。私たちの背きのために傷つけられ、私たちの過ちのために打ち砕かれたキリストによって、私たちは生きることがゆるされています。

2022年1月19日の聖句

貧しい者を嘲る者は自分の造り主をそしる。人の災難を喜ぶ者は罰を免れない。(箴言17:5) 憐れみ深い人々は、幸いである。その人たちは憐れみを受けるからだ。(マタイ5:7) 今回のコロナのことで痛感させられたことの一つは、苦しむ人と私との差は何もない、ということです。いつ、どこで、...