2022年7月16日土曜日

2022年7月16日の聖句

主よ、たとえ私が苦難の中を歩んでいても、あなたは私を生かす。(詩編138:7)
あらゆる場合において、私たちは自分を神に仕える者として証明しているのです。大いなる忍耐、苦難、困窮、行き詰まりにあってもです。(2コリント6:4)

今日の御言葉を読むと、私たちの信仰はキリストの復活によって根本的に新しくなったのだということを思わされます。もっとちゃんと言えば、キリストの復活によって新しくなったと言うよりも、むしろキリストの復活によって始まった、あるいはキリストの復活によって可能になったということでしょうが、しかしやはり、キリストの復活が私たちの信仰のあり方を新しくしたという言い方もそう間違っていないと思います。
「あらゆる場合において、私たちは自分を神に仕える者として証明しているのです。大いなる忍耐、苦難、困窮、行き詰まりにあってもです。」十字架にかけられたキリストは、私たちの忍耐が必要な苦難、困窮、行き詰まりの日、そこに共にいてくださいます。私たちのどんな苦難も、困窮も、行き詰まりも、キリストがご存じないものは一つもありません。このお方は十字架を前にして、ゲツセマネの園で汗を血の滴りのように流し、「私は死ぬほど苦しい」と言い、「父よ、できることなら、この杯を私から過ぎ去らせてください」と祈りました。十字架の上では「わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか」と叫ばれました。十字架の上におられるキリストは、私たちのどのような苦しみも絶望も私たちが知っている以上に知り、私たちと共におられ、あるいは私たちに代わって、私たちの罪が支払う報酬である死を甘んじてお受けになったのです。
しかしそれも、もしもキリストがただ死んだだけであれば、何の意味があったでしょう。偉大な宗教指導者が死んだだけであったら、私たちと何の関わりがあるのでしょう。キリストは、そうではなく、墓から甦られたのです。神はキリストを復活させたのです。私たちはキリストのお姿によって知ります。どんな苦難も、困窮も、行き詰まりも、それが行き止まりではない、と。キリストは私たちに代わって死に、そして私たちの代表として復活させられました。「主よ、たとえ私が苦難の中を歩んでいても、あなたは私を生かす。」
神は私たちをキリストにあって新しい命に生かしてくださいました。私たちはその事実の証人です。キリストにあって、私たちは行き詰まっても絶望せず、苦難の中でも喜びを知り、困窮の日にも救いを信じることができます。私たちはキリストの復活の証人なのです。

2024年4月20日の聖句

私は必ずあなたを助け出す。剣に倒れることはない。あなたの命はあなたの戦利品となる。あなたが私を信頼したからであるーー主の仰せ。(エレミヤ39:18) イエスはその犯罪人に、「よく言っておくが、あなたは今日私と一緒に楽園にいる」と言われた。(ルカ23:43) 主イエスが十字架の上で...