2022年7月22日金曜日

2022年7月22日の聖句

主がほめたたえられますように。主は約束どおり、ご自分の民イスラエルに安住の地を与えてくださいました。(列王記上8:56)
安息日の休みは、神の民にまだ残されています。(ヘブライ4:9)

安息日の休み、と書かれています。安息日の休みについては、十戒の第四戒で「安息日を覚えて、これを聖別しなさい」と命じられています。
旧約聖書には出エジプト記第20章と申命記第5章の2箇所に十戒が伝えられています。内容はほぼ同じですが、この安息日の戒めについての理由説明が違っています。出エジプト記の伝える十戒では、安息日を覚え聖別する理由は「主は六日のうちに、天と地と海と、そこにあるすべての者を造り、七日目に休息された。それゆえ、主は安息日を祝福して、これを聖別されたのである」と、天地創造にあるとしています。これに対して申命記の伝える十戒では、その理由を「あなたはエジプトの地で奴隷であったが、あなたの神、主が、力強い手と伸ばした腕で、あなたをそこから導き出したことを思い出しなさい。そのため、あなたの神、主は、安息日を守るようあなたに命じられたのである」と、出エジプトという救いの出来事に見ています。
「安息日の休みは、神の民にまだ残されています。」安息日の休みは、レジャーのための休みではありません。主なる神さまがこの世界をお造りになったこと、その方が私たちを救ってくださったことを覚え、この方をあがめるための日です。私たちは今どういう休みを得るために「安息日」という一日を過ごしているでしょうか。神さまを覚え、祈り、神さまをほめたたえるために、神さまはこの日を定めてくださいました。それは私たちが安息日にしっかり休んで、神さまを覚えることで人間らしく生きることができるようになるからです。
私は最近息子の小学校に出入りするようになって、校長・教頭・教務といった学校運営の責任を負っておられる先生方と話をするようになりました。初めての経験です。先生方の働き方についても伺うことがあります。聞きしにまさる激務でした。しかし何も教職員に限らず、いろいろな職業や業種で、働き方が問われています。それは、私たちが安息をどうしても必要としているからです。心身の健康のために必要なことはもちろんですが、それ以上に、創造によって明かされる自分という存在のルーツ(存在の根拠)や出エジプトによって明かされる神に救われた私の今(実存)を神さまの御前で修正しなければ、私たちは根本的にやっていかれないのではないでしょうか。私たちは神の前で憩うのでなければ真の安らぎを得ることができない。そして、キリストは私たちを確かな安らぎに入れてくださる方です。
私たちの今日一日の歩みも、神が与えてくださる安息に向かうための一歩なのです。

2024年4月20日の聖句

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