2022年7月28日木曜日

2022年7月28日の聖句

空しさを抱える者たちは、恵みを捨てている。(ヨナ2:9)
世は欲と共に過ぎ去ります。しかし、神の御心を行う者は誰でも、永遠にとどまります。(1ヨハネ2:17)

得てして私たちは、空しい思いになるのは神さまの恵みが足りないからだとか、神さまが自分に無理難題を押しつけているからだと思いがちです。しかし、聖書は言います。「空しさを抱える者たちは、恵みを捨てている。」真相は逆で、私たちが神の恵みを捨てているからこそ、私たちは空しくなってしまうのだ、というのです。
これは預言者ヨナの言葉です。ヨナは神さまから宿敵アッシリアの都ニネベに行って伝道するようにと神に命じられました。ヨナはニネベの人々を憎んでいたので、それとは反対方向に位置するタルシシュ行きの舟に乗り込みます。すると舟は嵐に遭い、ヨナは同舟の人々に海へ放り込まれ、大きな魚に飲み込まれてしまった。今日の御言葉はこの魚の腹の中での祈りです。
「空しさを抱える者たちは、恵みを捨てている。」それは、ヨナ自身のことであったのかも知れません。私たちは恵みを捨てていないでしょうか。私たちは何を大切にしているのでしょうか。私たちは空しくなってはいないでしょうか。
「世は欲と共に過ぎ去ります」と今日の新約聖書の御言葉は言います。今、世間を騒がせているカルト宗教があります。権力と結びつくことで、彼らは何をしたいのでしょうか。私たちの信仰は彼らの教えとは全然違いますが、あのような集団の存在は私たちへの戒めであり、問いでもあると思います。私たちは世の欲に心を奪われてはいないか、私たちは主イエスがしてくださったように愛と慈しみを生きているのか、と。
「神の御心を行う者は誰でも、永遠にとどまります」と、更に聖書は言います。私たちは、自分たちが神さまの御心を行っていますだなんてそう簡単に口にすることはできません。神さまの御心に生きたいと願っていますが、私たちの存在が神さまの御心に適うものだと平然と言ってのけることはできない。私たちは、ただただキリストの憐れみにすがるだけです。神の恵みを求めるだけです。私たちは神の恵みを捨てるのではなく、世の欲に心を奪われるのではなく、私たちを愛し、世を愛し、私たちすべての者のために御自身を献げてくださったキリストを信じます。キリストの恵みを。キリストの憐れみを。主イエス・キリスト。この方こそ神の愛そのものであり、この世のために神が与えてくださった独り子、私たちすべてのもののための救い主なのです。

2024年4月20日の聖句

私は必ずあなたを助け出す。剣に倒れることはない。あなたの命はあなたの戦利品となる。あなたが私を信頼したからであるーー主の仰せ。(エレミヤ39:18) イエスはその犯罪人に、「よく言っておくが、あなたは今日私と一緒に楽園にいる」と言われた。(ルカ23:43) 主イエスが十字架の上で...