2022年9月1日木曜日

2022年9月1日の聖句

私があなたを呼び求めるとき、あなたはそばに来て、「恐れるな」と言われました。(哀歌3:57)
求めなさい。そうすれば受けます。あなたがたの喜びが満ちあふれるようになるためです。(ヨハネ16:24)

「求めなさい。そうすれば受けます」と主イエスは言われます。他の福音書でも、「求めなさい、そうすれば与えられる」と主イエスはおっしゃっています。こういう言葉を聞くと、少し、私の心はうずきます。祈っても、その通りになるとは限らない・・・という、信仰者であれば誰でも経験する事実が立ちはだかるからです。
しかし他方では、何でも一所懸命に願えば私たちの望むとおりになるとか、たくさんの献金をすれば願いが叶うとか、そういうふうに聖書が教えていないということは、私たちの信仰の本質にかかわる大切なことだと思います。なぜなら、神さまは主イエス・キリストというお方においてご自身を現してくださいました。キリストは神様のご身分にありながらご自身をむなしくして、僕である人間の姿をとってくださいました。十字架にかけられるまで、徹底してへりくだりを貫いてくださいました。神さまがお示しになった栄光や豊かさは、十字架のキリストと、キリストの復活によって示されました。それなのに、この方に救って頂いた私が世のうらやむ御利益を楽しむというのは、どこか違っていたのかも知れません。
「求めなさい。そうすれば受けます」と言ったとき、主イエスはこの直前で「私の名によって祈りなさい」とおっしゃいました。私たちは十字架にかけられた方のお名前で神さまに祈ります。キリストのお名前で何事であっても神さまに祈るとき、私たちは喜びで満たされます。神さまは最も尊いこと、キリストに示された神の愛に最も適うことをしてくださると信じているからです。
「私があなたを呼び求めるとき、あなたはそばに来て、「恐れるな」と言われました。」今日の旧約聖書のこの言葉は、哀歌の一節です。社会の崩壊の中での悲しみの言葉です。しかし絶望の中で、神がそばに来て「恐れるな」と言ってくださっていることを知ったのです。ここに望みがある。私たちの希望はこのお方にある。私たちはそのことを、他ならぬ祈りによって確信するのです。

2024年4月20日の聖句

私は必ずあなたを助け出す。剣に倒れることはない。あなたの命はあなたの戦利品となる。あなたが私を信頼したからであるーー主の仰せ。(エレミヤ39:18) イエスはその犯罪人に、「よく言っておくが、あなたは今日私と一緒に楽園にいる」と言われた。(ルカ23:43) 主イエスが十字架の上で...