2022年9月12日月曜日

2022年9月12日の聖句

それは私たちが聞いて知っていること。私たちの先祖が語ってくれたこと。それを私たちは息子たちに隠さず語り告げよう。(詩編78:3~4)
ただで受けたのだから、ただで与えなさい。(マタイ10:8)

主イエス・キリストの福音は、宣べ伝えられることを欲しています。福音そのものが、宣教されることを待っています。聖書が伝える福音の言葉は、今、ここでの言葉として宣言されることを聖書それ自体が求めているのです。
「それは私たちが聞いて知っていること。私たちの先祖が語ってくれたこと。それを私たちは息子たちに隠さず語り告げよう。」
私たちも、福音を聞いて信じました。それを私たちに語り聞かせてくれる人がいたからです。私たちの信仰の祖は、私たちにキリストの福音を聞かせ、語り、私たちの心にキリストの愛を届けてくれたのです。だから、「それを私たちは息子たちに隠さず語り告げよう」と言います。息子にも、娘にも。教会の子どもたちにも。あるいは私たちの家族の子どもたちにも、若い人にも、年を取っている人にも。隣近所の人にも。私たちの周りにいる人たちに福音が伝えられることを福音そのものが待っているし、実は、神さまに造られたすべての人が福音を待っているのではないでしょうか。
「ただで受けたのだから、ただで与えなさい。」私たちは福音をただで受けました。神さまが下さった宝を、何の対価もなく頂きました。私たちも受け取った宝を次の人にバトンタッチします。
今日一日の私たちの歩みが、福音というキリストが下さったこの宝にふさわしいものでありますように。神さまが私たちの歩みを清めてくださって、私たちを通して福音が証言されるものとなりますように。そのために、神さまが私たちに聖霊を送ってくださいますように。
今日一日の祝福を祈っています。

2024年4月25日の聖句

救いは主のもの。 あなたの民の上に祝福を。(詩編3:9) イエスは手を上げて彼らを祝福された。(ルカ24:50) 主イエス・キリストは復活して40日間弟子たちと共におられ、その後、天に昇って行かれました。その時、主イエスは手を上げて弟子たちを祝福し、その恰好のままで天に上げられて...