主はあなたの足をよろけさせず、あなたを守る方は、まどろむこともない。(詩編121:3)
私たちの主イエス・キリストは、あなたがたを最後まで堅く保ってくださいます。(1コリント1:7~8)
神学生のとき、渋沢教会で一年間の研修を受けました。今さがみ野教会で毎週ご一緒に礼拝を献げている浜崎孝先生が当時の牧師でした。礼拝前、奉仕者が集まって祈りを捧げます。そのとき、浜崎先生はよくこのように祈っておられました。「今日もあなた様の寝ずの番をいただいて朝を迎え・・・。」神さまは私たちのために寝ずの番をしてくださっています。主に守られて、私たちは眠りから覚め、朝を迎えます。
出エジプト記には、過越の夜、ヘブライ人たちがエジプトを脱出するために主なる神さまが寝ずの番をしてくださった、と書かれています。「その夜、主は、彼らをエジプトの地から導き出すために、夜通し見張りをされた」(出12:42)。今も、主なる神さまは私たちのための寝ずの番をして、私たちを奴隷の家から導き出してくださっています。
「主はあなたの足をよろけさせず、あなたを守る方は、まどろむこともない。」まどろむことなく、私たちの足元を守ってくださる方です。私たちの信仰の足はこのお方のお陰でよろけることがありません。いや、よろけて転んでしまったと思うときにも、実は神さまが支えてくださっています。転がった私を抱き起こしてくださいます。そのために、神さまはまどろむことなく、夜通し守っていてくださいます。
「私たちの主イエス・キリストは、あなたがたを最後まで堅く保ってくださいます。」最後まで、という力強い言葉が書かれています。イエスさまは、私たちを堅く保つことを途中で放り出してしまうことがない。最後まで。しかも「堅く」保つというのも、やはりとても力強い言葉です。私たちには恐ろしいことやよろめいてしまうことも起きます。私たちは人間として、とても弱い存在です。しかし、主が味方なら恐れはありません。主が昼も夜も、まどろむことなく守ってくださっています。今日も、主の寝ずの番にあずかって、私たちはこの朝を迎えたのです。
私たちの主イエス・キリストは、あなたがたを最後まで堅く保ってくださいます。(1コリント1:7~8)
神学生のとき、渋沢教会で一年間の研修を受けました。今さがみ野教会で毎週ご一緒に礼拝を献げている浜崎孝先生が当時の牧師でした。礼拝前、奉仕者が集まって祈りを捧げます。そのとき、浜崎先生はよくこのように祈っておられました。「今日もあなた様の寝ずの番をいただいて朝を迎え・・・。」神さまは私たちのために寝ずの番をしてくださっています。主に守られて、私たちは眠りから覚め、朝を迎えます。
出エジプト記には、過越の夜、ヘブライ人たちがエジプトを脱出するために主なる神さまが寝ずの番をしてくださった、と書かれています。「その夜、主は、彼らをエジプトの地から導き出すために、夜通し見張りをされた」(出12:42)。今も、主なる神さまは私たちのための寝ずの番をして、私たちを奴隷の家から導き出してくださっています。
「主はあなたの足をよろけさせず、あなたを守る方は、まどろむこともない。」まどろむことなく、私たちの足元を守ってくださる方です。私たちの信仰の足はこのお方のお陰でよろけることがありません。いや、よろけて転んでしまったと思うときにも、実は神さまが支えてくださっています。転がった私を抱き起こしてくださいます。そのために、神さまはまどろむことなく、夜通し守っていてくださいます。
「私たちの主イエス・キリストは、あなたがたを最後まで堅く保ってくださいます。」最後まで、という力強い言葉が書かれています。イエスさまは、私たちを堅く保つことを途中で放り出してしまうことがない。最後まで。しかも「堅く」保つというのも、やはりとても力強い言葉です。私たちには恐ろしいことやよろめいてしまうことも起きます。私たちは人間として、とても弱い存在です。しかし、主が味方なら恐れはありません。主が昼も夜も、まどろむことなく守ってくださっています。今日も、主の寝ずの番にあずかって、私たちはこの朝を迎えたのです。