2022年9月26日月曜日

2022年9月26日の聖句

私を帰らせてください。そうすれば、帰ります。主よ、あなたは私の神だからです。(エレミヤ31:18)
イエスはトマスに言う。「あなたの指をここに当てて、私の手を見なさい。あなたの手を伸ばして、私の脇腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」(ヨハネ20:27)

主イエス・キリストは、トマスにおっしゃいました。「あなたの指をここに当てて、私の手を見なさい。あなたの手を伸ばして、私の脇腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」彼が、自分の指をイエスの手の釘の後に入れなければ、この手を槍で刺されたイエスの脇腹に入れなければ決して信じないと言ったからです。しかも、主イエスは、怒りを込めてこのようにおっしゃったのではありません。トマスがいる部屋に入ってきて、「あなたがたに平和があるように」と言って、その上であのように言ってくださいました。何と深い愛でしょう!何と優しい方でしょう!
そして、主イエスは何と深くへりくだったお方でしょう。トマスの言葉は、とても失礼です。主イエスの手の釘の跡も、脇腹の槍の跡も、トマスや私たちのために負った傷跡です。そこに手を入れなければ信じないだなんて、本当に失礼な言葉です。ところがイエスさまはそれを優しく受け入れ、トマスに手を差し伸べてくださいました。こんなにも優しい主イエスさまが、私たちの神さまなのです。本当にありがたいことです。
「私を帰らせてください。そうすれば、帰ります。主よ、あなたは私の神だからです。」この祈りの言葉は、私が神さまの御許に帰ることができるとしたら、それはあなたが帰らせてくださるからです、という意味です。私たちは自分の力で神さまのところに帰りうる立派な信仰をもっているのではない。神さまが招いてくださり、神さまが信仰を与えてくださるから、神さまの御許に帰ることが初めてできる。主イエスがトマスの前にご自分の釘打たれた手を差し出すように、神さまは私たちのために帰る道を備えてくださっています。
今日も、私たちの歩む道が神さまの御許へ帰るための道でありますように。祝福を祈ります。

2025年12月4日の聖句

律法を知らない子どもたちが、またこれを聞きかつ学び、あなたがたの神である主をいつでも畏れるようになるべきです。(申命記31:13) 父親たち、子どもを怒らせず、主のしつけと諭しによって育てなさい。(エフェソ6:4) 私にとっては非常に耳の痛い御言葉です。「父親たち、子どもを怒らせ...