2022年11月10日木曜日

2022年11月10日の聖句

主にとっては、多くのもので助けるか少しのもので助けるかは重要なことではない。(サムエル上14:6)
ですから、あなた方が持つ信頼を捨てるな。それは大きな報酬があるのだから。(ヘブライ10:35)

私たちがこうして読んでいる聖書の御言葉は『日々の聖句』という小冊子に従っています。これはドイツにあるヘルンフート兄弟団というグループが既に300年近くにわたって発行しているものです。最近、この日本語版では、新共同訳や聖書協会共同訳、あるいは他の翻訳の聖書と並んで、ドイツ語訳の聖書を日本語訳したものも掲載されることがあるようです。ヘルンフートの人々が読んでいるドイツ語聖書の持つニュアンスをそのまま日本語に移そうと試みているようです。恐らく、今日の旧約聖書の御言葉はそういうものなのではないかと思います。ここを聖書協会共同訳ではこのように訳しています。「主が救いをもたらすのに、人数の大小は問題ではない。」
これはサウル王の息子であるヨナタンがペリシテ人と戦っていたとき、味方に対して主が私たちに救いをもたらしてくださると励ましている言葉です。私たちの人数が多くても少なくても、それを問題にせずに神さまが私たちを救ってくださる。
しかし今日の『日々の聖句』の日本語訳の元になったであろうドイツ語訳では、少し違う理解の仕方をしているようです。「主にとっては、多くのもので助けるか少しのもので助けるかは重要なことではない。」主が私たちを救ってくださるために、多くのものを用いて救うのも小さなものを用いて救うのも、大した問題ではない、神さまが救ってくださるのだから、ということであろうと思います。主が救ってくださるという事実自体に目を向けさせようとしている。これも、面白い理解だと思います。私たちには小さくてつまらない手段に見えたとしても、神さまはそのような評価をなさらない。神さまはどんなに小さくて弱くても、私たちがそれを蔑ろにしてしまっていたとしても、神さまの御業は進みます。どのようなときにも、神さまは救いのために進んで行かれるのです。
「ですから、あなた方が持つ信頼を捨てるな。それは大きな報酬があるのだから。」大きな報酬、と言います。これもまた面白い表現です。神を信頼することには大きな報酬がある。神さまはご自分を信頼するものを報いてくださる。私たちは自分の手にあるものや自分自身が強いか弱いか、大きいか小さいかということにこだわるのではなく、神さまを信頼し、神さまに依り頼んでいきましょう。

2024年12月27日の聖句

遠く地の果てまで、すべてのものが我らの神の救いを見た。(詩編98:3) また、幸いなる希望、すなわち大いなる神であり、私たちの救い主であるイエス・キリストの栄光の現れを待ち望むように教えています。(テトス2:13) すてきな言葉です。「幸いなる希望」と言っています。私たちにとって...