海が水でいっぱいであるように、そのように地は、主を知る知識で満たされる。(イザヤ11:9)
しかし、その方、すなわち、真理の霊が来ると、あなた方を導いて真理をことごとく悟らせる。(ヨハネ16:13)
今日のイザヤ書第11章は、クリスマスになるとよく読まれる箇所です。「エッサイの株から一つの芽が萌え出で」という月曜日に耳を傾けた御言葉から始まり、6節になると「狼は小羊と共に宿り、豹は子山羊と共に伏す」という平和のイメージが描かれています。救い主が来てその支配が地に及ぶとき、このような平和が実現する、と言います。「私の聖なる山のどこにおいても、害を加え、滅ぼすものは何もない」と神さまは言われます。そのような平和がなぜ実現するかと言えば、「海が水でいっぱいであるように、そのように地は、主を知る知識で満たされる」からだ、と今日の箇所に続いています。
主を知る知識で満たされるとき、私たちに平和が訪れる。この「知識」というのは、当然ですが、勉強によって得られる知識ということではありません。本を読んで調べて、書斎で研究をして獲得する知識ではない。神を知るというのは、神を崇めるために神を知るということです。そのようにして神を知るとき、私たちの間に平和が訪れる。
しかしその神を崇めるとか、神を知るということも、私たちが自分の力や精神力で獲得するものではありません。今、いろいろなカルト宗教が問題になっていますが、その過ちの一つはこの点にあると思います。信仰を自分の力で獲得すると考えると、私たちの営みはすぐに独善的で傲慢になります。私たちと無関係ではありません。信仰は、ただただ神さまが私たちに恵みとして与えてくださるものです。「しかし、その方、すなわち、真理の霊が来ると、あなた方を導いて真理をことごとく悟らせる。」真理の霊、すなわち聖霊が私たちに神を知る知識を与え、神を礼拝する心を与えてくださる。神を信じる信仰を、ただ神が与えてくださる。私たちは、それをただ手を広げて頂くだけです。
今日、私たちが少しでも深く神を知ることができますように。そのために、神様ご自身が真理の霊を送ってくださいますように。キリストの憐れみを求めつつ、今日の一日を歩んでいきたいと願います。
しかし、その方、すなわち、真理の霊が来ると、あなた方を導いて真理をことごとく悟らせる。(ヨハネ16:13)
今日のイザヤ書第11章は、クリスマスになるとよく読まれる箇所です。「エッサイの株から一つの芽が萌え出で」という月曜日に耳を傾けた御言葉から始まり、6節になると「狼は小羊と共に宿り、豹は子山羊と共に伏す」という平和のイメージが描かれています。救い主が来てその支配が地に及ぶとき、このような平和が実現する、と言います。「私の聖なる山のどこにおいても、害を加え、滅ぼすものは何もない」と神さまは言われます。そのような平和がなぜ実現するかと言えば、「海が水でいっぱいであるように、そのように地は、主を知る知識で満たされる」からだ、と今日の箇所に続いています。
主を知る知識で満たされるとき、私たちに平和が訪れる。この「知識」というのは、当然ですが、勉強によって得られる知識ということではありません。本を読んで調べて、書斎で研究をして獲得する知識ではない。神を知るというのは、神を崇めるために神を知るということです。そのようにして神を知るとき、私たちの間に平和が訪れる。
しかしその神を崇めるとか、神を知るということも、私たちが自分の力や精神力で獲得するものではありません。今、いろいろなカルト宗教が問題になっていますが、その過ちの一つはこの点にあると思います。信仰を自分の力で獲得すると考えると、私たちの営みはすぐに独善的で傲慢になります。私たちと無関係ではありません。信仰は、ただただ神さまが私たちに恵みとして与えてくださるものです。「しかし、その方、すなわち、真理の霊が来ると、あなた方を導いて真理をことごとく悟らせる。」真理の霊、すなわち聖霊が私たちに神を知る知識を与え、神を礼拝する心を与えてくださる。神を信じる信仰を、ただ神が与えてくださる。私たちは、それをただ手を広げて頂くだけです。
今日、私たちが少しでも深く神を知ることができますように。そのために、神様ご自身が真理の霊を送ってくださいますように。キリストの憐れみを求めつつ、今日の一日を歩んでいきたいと願います。