2022年11月14日月曜日

2022年11月14日の聖句

神である主はこう言われる。「立ち帰れ。あなたがたのすべて偶像から身を翻せ。」(エゼキエル14:6)
この世と調子を合わせてはいけません。むしろ、心を新たにすることで、自分を変えていただきなさい。そうすれば神のみこころは何か、すなわち何が良いことで、神に喜ばれ、完全であるのかを見分けるようになります。(ローマ12:2)

「あなたがたのすべての偶像から」と言っています。私にも偶像がある、と言っている。ここで言う「偶像」とは、必ずしも木や石を刻んで造り上げた像ということではないと思います。あるいは、それに限らないと言った方が適切でしょうか。私たちの心を捕らえるあらゆる偶像から身を翻せ、と主なる神さまはおっしゃいます。
そのことを新約聖書では「この世と調子を合わせてはいけません」と表現しています。この世と調子を合わせるときに、私たちはいつの間にか、知らないうちに偶像に捕らえられてしまっているのではないか。
例えば、このようなことを考えても良いかもしれません。この数年、コロナのためにいろいろな経済活動が停まったこともあり、また戦争の影響もあって、物価が高騰しているのに給料は増えないという現象が続いています。だから日本はもっと成長しなければならない、と言われます。一方では確かにそうなのでしょう。社会の誰もが最低限に文化的な生活を維持するためには。しかし一歩立ち止まったときに、ここで言われている「成長」というのは一体何でしょうか。社会が言う「成長」は、ほとんどの場合、経済成長のことです。もっと言えば、GDPが大きくなることでしょう。国内で生産されたものやサービスの付加価値の合計です。しかしここでは、例えばボランティア活動のようなものは無視されます。家族や地域共同体の絆も計算に入りません。しかし経済的な規模はそこそこでもボランティアが盛んな社会と、経済的には巨大だけれどもお金が動かなければ誰も何もしない社会と、どちらが豊かなのでしょうか。この世が常識的にいちばん大事だと考えている価値は、本当に私たちを豊かにするのでしょうか。それは決して当たり前の前提ではないと思います。いつの間にか、当たり前のことや常識と思われていたことが、私たちを捕らえて放さない偶像になってはいないでしょうか。
神の御心は何でしょう。神さまは何を良しとされ、何をお喜びになるのでしょう。私たちは自分が出会う一つひとつのことについてそれを識別し、祈りの内に決断しなければなりません。どこに偶像ではなく主なる神さまを拝む道があり、それを実際に生きることになるのか。そしてその道は、私たちの本当に深い幸福の道です。なぜなら、私たちを愛を込めて造り、いのちを与えてくださった神さまの御心が、この道を整えてくださったのですから。

2024年12月27日の聖句

遠く地の果てまで、すべてのものが我らの神の救いを見た。(詩編98:3) また、幸いなる希望、すなわち大いなる神であり、私たちの救い主であるイエス・キリストの栄光の現れを待ち望むように教えています。(テトス2:13) すてきな言葉です。「幸いなる希望」と言っています。私たちにとって...