2022年11月3日木曜日

2022年11月3日の聖句

わたしがイスラエルの家を、彼らの散らされた諸国の民の中から集めるとき、彼らによって、私は自分の聖なることを諸国民の前に示す。(エゼキエル28:25)
神の賜物と召しは神ご自身を後悔させることはありません。(ローマ11:29)

今日の旧約聖書の御言葉は、預言者エゼキエルを通して語られた神さまの言葉です。とても不思議な言葉です。イスラエルの家が散らされた諸国民の中から集める、と言っています。これは、戦争に敗れて捕虜になった人たちのことです。イスラエルの国は実際に国が崩壊し、多くの人が散り散りバラバラになってしまいました。どうして、そのような悲惨な歴史をたどることになってしまったのか。聖書はその理由を、彼らが神さまを蔑ろにして生きていたからだ、と言います。神さまの慈しみも愛も無視し、富や名誉や所有の欲を満たしてくれる都合の好い神々をこしらえた。神さまとの関係もおかしくなり、同時に人間同士の関係もおかしくなってしまったその結果、結局国は滅んでしまいました。
ところが神さまは、そうやって自滅した人々を諸国の民の中から集める、と言っています。自滅し、離散した人々をもう一度集めて救おう、と神さまはおっしゃいます。そして、そやって人々を救うことによって「私は自分の聖なることを諸国民の前に示す」というのです。神さまは、ご自分に背いて自滅した人々を救うだけでなく、そういう駄目な人を救うことによってご自分の聖を示す、と言います。これは驚くべき言葉です。これは、私たちのことです。古代のイスラエル人と同じように、私たちも神さまを蔑ろにし、人間関係をぶち壊し、自滅の道を突き進んでいた。しかし、神さまはそういう私たちを救ってくださいました。私たち罪人を救うことによって、神さまはご自分の聖なることをお示しになった。
しかも、「神の賜物と召しは神ご自身を後悔させることはありません」というのです。これもまた驚くべき言葉です。神さまは私たちをお救いになったこと決して後悔なさらないというのです。私たちがどんなに罪深く、駄目だったとしても、神さまはそんな私たちを救ってくださったことを後悔なさらない。そして、そうやってご自分の救いを貫くことによって、神さまはご自身の聖なることをお示しになる。ですから神さまが聖なる方でいらっしゃるというのは、私たちにとっては本当にありがたい事実なのです。

2024年12月27日の聖句

遠く地の果てまで、すべてのものが我らの神の救いを見た。(詩編98:3) また、幸いなる希望、すなわち大いなる神であり、私たちの救い主であるイエス・キリストの栄光の現れを待ち望むように教えています。(テトス2:13) すてきな言葉です。「幸いなる希望」と言っています。私たちにとって...