2022年11月6日日曜日

2022年11月6日の聖句

聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな
万軍の主。
その栄光は全地に満ちる。(イザヤ6:3)
あなたがを召してくださった聖なる方に倣って、あなたがた自身も生活のあらゆる場面で聖なるものとなりなさい。(1ペトロ1:15)

聖。それは、神さまの本質を表す言葉です。神さまは聖なる方。ただ神様だけが「聖」と呼ばれるにふさわしい方です。なぜなら、本質とは、他とは異なるそれだけの固有の性質を表す言葉だからです。聖、それは天地を造られたただひとりの神さま、主イエス・キリストの父である神様の尊い御性質です。
「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、万軍の主。」これは預言者イザヤが垣間見た天での礼拝で響いていた言葉です。セラフィムという、六つの翼を持つという天の獣が、神を賛美して言っていたといいます。「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、万軍の主。」私たちの想像を超えるような光景です。これを目の当たりにして、イザヤは恐れました。聖なる神さまを前にして、もう自分は死ぬしかない。汚れた私はこのまま滅びるしかない。そういって、イザヤは恐れたのです。
聖。それは、神さまの神さまらしさと言い換えてもよいと思います。私たちをお造りになった神さまを前に、私たち人間は、しかも罪に汚れた人間は、本当であれば死ぬしかありません。汚れというのは聖の正反対です。汚れた者は滅びるしかない。しかし、神さまの聖は、聖なる愛として私たちの前に現されました。聖なる愛に満ちたお方は、私たちのためにご自分の独り子を与え、私たちに永遠の聖なる愛を示してくださったのです。神さまはご自分の神さまらしさを、私たちへの愛を貫くことによって示してくださいました。だから、私たちは本当であれば罪深い私が死なねばならない神さまの聖を前にして、命を戴き、神さまの前に生きるものとされたのです。
「あなたがを召してくださった聖なる方に倣って、あなたがた自身も生活のあらゆる場面で聖なるものとなりなさい。」私たちは、私たちを呼んでくださった方の聖なる御愛にならって、自らを聖く保つように、と聖書は呼びかけます。神さまと、キリストと同じようになることなんてできない。それはそうです。しかし、僅かにでもキリストに似たものとしてくださいという祈りこそ、聖なる愛をいただいた私たちの祈りなのです。

2024年4月19日の聖句

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