いと高き方はあなたの避けどころ。(詩編91:9)
イエスの言葉:あなたがたは心を騒がせてはなりません。神を信じ、また私を信じなさい。(ヨハネ14:1)
今、心が騒いではいませんか?心配事や悩み事に心が覆われてはいませんか?主イエスさまは、そんな私たちにおっしゃいます。「心を騒がせてはなりません。神を信じ、また私を信じなさい。」心を騒がせてはならないと主イエスがおっしゃるとき、ちゃんとその根拠もおっしゃってくださいます。「神を信じ、また私を信じなさい。」神を信じ、キリストを信じるとき、私たちは心を騒がせないで済む!主イエスはそう宣言なさいます。
今日の旧約はこのように言っています。「いと高き方はあなたの避けどころ。」いと高き方、天の父なる神、この方こそが私の避けどころ。「避けどころ」と言うからには、避けて良いということになります。私たちは逃げてよい。心を騒がせることから逃げてよいのです。
主イエスは、主の祈りの中で「我らを試みに遭わせず、悪より救い出したまえ」と祈ることを教えてくださいました。救ってください、助けてください、試みに遭わせないでください。私たちはそう祈っていい。どんな試みにも耐えうる強靱な精神力を持て、と主イエスはおっしゃいませんでした。試みに遭わせないでください、私たちを救ってください、助けてください。私たちはいと高き神を避けどころとし、助けを求める祈りをささげることが許されている。
それは、私たちにとって罪の力がそれだけ強いからだとも言えると思います。私たちを覆う時代の精神、悪の力、空中に勢力を持つ力は強い。悪から救いだしてくださいと祈らなければ、私たちはそれに打ち勝つことができない。主ご自身が私たちの避けどころとなってくださる。私たちの罪との戦いのための避けどころに。
心が騒ぎ、その心騒がせる事柄に心が支配されてしまうとき、私たちは神さまを忘れます。その意味で、心騒がせる事柄は私たちにとっては試みです。罪との戦いです。しかしその戦いの中で、救ってくださいとたった一言祈るとき、私たちは既にキリストご自身の勝利に連なっている。私たちはそう信じて、主ご自身が教えてくださった祈りを口ずさみつつ今日一日の旅路に出て行きます。
イエスの言葉:あなたがたは心を騒がせてはなりません。神を信じ、また私を信じなさい。(ヨハネ14:1)
今、心が騒いではいませんか?心配事や悩み事に心が覆われてはいませんか?主イエスさまは、そんな私たちにおっしゃいます。「心を騒がせてはなりません。神を信じ、また私を信じなさい。」心を騒がせてはならないと主イエスがおっしゃるとき、ちゃんとその根拠もおっしゃってくださいます。「神を信じ、また私を信じなさい。」神を信じ、キリストを信じるとき、私たちは心を騒がせないで済む!主イエスはそう宣言なさいます。
今日の旧約はこのように言っています。「いと高き方はあなたの避けどころ。」いと高き方、天の父なる神、この方こそが私の避けどころ。「避けどころ」と言うからには、避けて良いということになります。私たちは逃げてよい。心を騒がせることから逃げてよいのです。
主イエスは、主の祈りの中で「我らを試みに遭わせず、悪より救い出したまえ」と祈ることを教えてくださいました。救ってください、助けてください、試みに遭わせないでください。私たちはそう祈っていい。どんな試みにも耐えうる強靱な精神力を持て、と主イエスはおっしゃいませんでした。試みに遭わせないでください、私たちを救ってください、助けてください。私たちはいと高き神を避けどころとし、助けを求める祈りをささげることが許されている。
それは、私たちにとって罪の力がそれだけ強いからだとも言えると思います。私たちを覆う時代の精神、悪の力、空中に勢力を持つ力は強い。悪から救いだしてくださいと祈らなければ、私たちはそれに打ち勝つことができない。主ご自身が私たちの避けどころとなってくださる。私たちの罪との戦いのための避けどころに。
心が騒ぎ、その心騒がせる事柄に心が支配されてしまうとき、私たちは神さまを忘れます。その意味で、心騒がせる事柄は私たちにとっては試みです。罪との戦いです。しかしその戦いの中で、救ってくださいとたった一言祈るとき、私たちは既にキリストご自身の勝利に連なっている。私たちはそう信じて、主ご自身が教えてくださった祈りを口ずさみつつ今日一日の旅路に出て行きます。