2024年7月6日土曜日

2024年7月6日の聖句

いと高き方を隠れ場とする者は、全能者の陰に宿る。
私は主に申し上げる。
「わが逃れ場、わが城、わが神、わが頼みとする方」と。(詩編91:1~2)
私は今日まで神の助けをいただいて、しっかりと立ち、小さな者にも大きな者にも証しをしてきました。(使徒26:22)

主イエスが私たちに教えてくださった祈りでは、このように祈るように言われています。「我らを試みに遭わせず、悪より救い出したまえ。」主イエスは、救ってください、助けてくださいと祈ることを教えてくださいました。主イエスは、「絶対に逃げるな」とか「どんなときにも弱音を吐くな」とはおっしゃいません。神さまに「助けてください」「救ってください」と祈っていい。むしろ、神ご自身が私たちのそのような祈りを待っていてくださる。
「いと高き方を隠れ場とする」「全能者の陰に宿る」と言っています。神を逃れ場とし、頼みとして生きることが私たちには許されている。何という安心であり、なんとありがたいことでしょうか!
隠れ場とか陰とか逃れるとか言うと、キリスト教は弱虫の宗教だと言われてしまいそうです。しかし、それでいいと思います。自分が弱虫であることを認めないわけにはいかない。私たちには神の助けが必要だし、しっかり立つために神に支えて頂かなくてはならない。そうであるからこそ、私たちは「小さな者にも大きな者にも証しを」します。神の助け、神の救いを。この方は私たちの弱い日にも見捨てず、私たちの立ち上がれないときにも救ってくださる方です。それは私たちが神の前に自分の力で救われるのではなく、ただ神の憐れみと恵みによってだけしか救われえないことを私たちが深く知るためです。この神の恵みは、弱くて惨めな私たちを決して放ってはおかないのです。

2024年9月16日の聖句

主なる神が私を助けてくださる。 それゆえ、私は恥を受けることはない。(イザヤ50:7) (ペトロは)風を見て怖くなり、沈みかけたので、「主よ、助けてください」と叫んだ。(マタイ14:30) 湖の真ん中で強風のために立ち往生していた小舟。その舟には主イエスがおられませんでした。主イ...