2024年9月1日日曜日

2024年8月31日の聖句

彼らは私の宝となる。人が自分に仕える子を憐れむように、私は彼らを憐れむ。(マラキ3:17)
(イエスの言葉)平和を造る人々は、幸いである。その人たちは神の子と呼ばれる。(マタイ5:9)

平和を造る人々は、実にしばしば、この世では無力です。
主イエスさまが憐れみ深いサマリア人の譬えを話してくださいました。さみしい道で追い剥ぎに襲われて倒れていた人を助けてくれたのは、祭司でもレビ人でもなく、一人のサマリア人でした。この人は倒れている人を見て憐れに思い、近寄って介抱し、自分のろばに乗せて町へ連れて行き、宿屋に一緒に泊まり、宿屋の主人に金を渡してその後の看病を委ねました。
すごいことです。しかし他方では、小さなことです。何百人も救うような事業を始めたわけではないし、手当たり次第だれでも構わず助けるシステムを作ったのでもありません。たった一人の人を見て、憐れみに胸をかきむしられて、自分ができることをしただけです。できない部分は他の人に頼みました。主イエスは、この人がしたことこそ、あの倒れている人の隣人になることだとおっしゃいます。
一人の人の隣人になるというのは、考えてみれば無力です。大きなことができるわけではないかもしれない。私たちのすることは非力でしかないかもしれない。しかしそんなこと考えずに伸ばす憐れみの手を、主イエスは御心に留めていてくださいます。その平和を造る人を、神の子と主イエスご自身が呼んでくださいます。「彼らは私の宝となる。人が自分に仕える子を憐れむように、私は彼らを憐れむ。」
主イエス・キリストは、私たちにも同じ憐れみの心を与えてくださっています。私たちも平和を造る神の子として生きることができる。キリストがそんな私たちをご自分の宝と呼んでくださいます。

2024年9月19日の聖句

(主よ、)あなたの僕を裁きにかけないでください。生ける者の中であなたの前に正しい者はいないからです。(詩編143:2) イエスは女に、「あなたの罪は赦された。あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい」と言われた。(ルカ7:48,50) 主イエスさまが私たちを赦してくださる...