私は知っている
主が苦しむ人の訴えを取り上げ
貧しい人のために裁きを行うことを。(詩編140:13)
もし、兄弟か姉妹が、着る物もなく、その日の食べ物にも事欠いているとき、あなたがたの誰かが、その人たちに、「安心して行きなさい。暖まりなさい。存分に食べなさい」と言いながら、体に必要なものを与えないなら、何の役に立つでしょう。(ヤコブ2:15~16)
私たちにとっては考えたくない事実ですが、私たちの社会の中で貧しくて着る物や食べる物に事欠いている人の声は、実際には無視されることが多いです。しかしそれは私たちが作っている社会であり、私たち自身がその一員である社会の話です。他の人の責任にしたり、行政や政治家のせいにして済む話ではないのだと思います。私たちにできることには限りがあります。しかし、今朝のヤコブの手紙が「もし、兄弟か姉妹が」と言っているとおり、私たちが出会い、その人と「兄弟、姉妹」という関わりを持つことができるその人にまず寄り添い、共に生き、分かち合って生きることができるならば・・・神さまはその小さな業をも用いてくださるはずです。
私たちにとって今朝の詩編の言葉はとても大切な示唆を与えていると思います。「私は知っている、主が苦しむ人の訴えを取り上げ、貧しい人のために裁きを行うことを。」この社会に神さまが望んでおられる正義は、苦しむ人の訴えに耳を傾け、貧しい人と公平に接することから始まるのではないでしょうか。今の社会で力を持ち成功している人は「このままがいい」と思いますから、苦しみ嘆き、悲しむ声に耳を傾けようとはしません。もしも私たちキリスト教会がその声に耳を傾け、分かち合い、共に生きるならば、この社会の中にあって神に立てられた預言者としての務めに仕えているのではないかと思います。嘆きの声に耳を傾けることから、始まるのではないでしょうか。
主が苦しむ人の訴えを取り上げ
貧しい人のために裁きを行うことを。(詩編140:13)
もし、兄弟か姉妹が、着る物もなく、その日の食べ物にも事欠いているとき、あなたがたの誰かが、その人たちに、「安心して行きなさい。暖まりなさい。存分に食べなさい」と言いながら、体に必要なものを与えないなら、何の役に立つでしょう。(ヤコブ2:15~16)
私たちにとっては考えたくない事実ですが、私たちの社会の中で貧しくて着る物や食べる物に事欠いている人の声は、実際には無視されることが多いです。しかしそれは私たちが作っている社会であり、私たち自身がその一員である社会の話です。他の人の責任にしたり、行政や政治家のせいにして済む話ではないのだと思います。私たちにできることには限りがあります。しかし、今朝のヤコブの手紙が「もし、兄弟か姉妹が」と言っているとおり、私たちが出会い、その人と「兄弟、姉妹」という関わりを持つことができるその人にまず寄り添い、共に生き、分かち合って生きることができるならば・・・神さまはその小さな業をも用いてくださるはずです。
私たちにとって今朝の詩編の言葉はとても大切な示唆を与えていると思います。「私は知っている、主が苦しむ人の訴えを取り上げ、貧しい人のために裁きを行うことを。」この社会に神さまが望んでおられる正義は、苦しむ人の訴えに耳を傾け、貧しい人と公平に接することから始まるのではないでしょうか。今の社会で力を持ち成功している人は「このままがいい」と思いますから、苦しみ嘆き、悲しむ声に耳を傾けようとはしません。もしも私たちキリスト教会がその声に耳を傾け、分かち合い、共に生きるならば、この社会の中にあって神に立てられた預言者としての務めに仕えているのではないかと思います。嘆きの声に耳を傾けることから、始まるのではないでしょうか。