あなたは私の両足を広々とした場所に立たせてくださる。(詩編31:9)
この自由を得させるために、キリストは私たちを解放してくださいました。ですから、しっかり立って、二度と奴隷の軛につながれてはなりません。(ガラテヤ5:1)
改革者マルティン・ルターの名著『キリスト者の自由』は、一見すると相矛盾する次の二つの命題から始まっています。
「キリスト者はすべてのものの上に立つ自由な主人であって、だれにも服しない。
キリスト者はすべてのものに仕える(ことのできる)僕であって、だれにでも服する。」
キリストは私たちを自由にしてくださいました。私たちは律法の下に管理された奴隷(僕)ではありません。
主イエスは、「真理はあなたがたを自由にする」とおっしゃいました。キリストの真理は私たちを解放する。自由にする。私たちはキリストを信じて不自由になるのではない。キリストを信じたら窮屈で不自然な生き方を強いられるのではない。自由にされる。神様の御前に、私らしく、伸び伸びと生きることができる。
ところがそれは、僕として生きることのできる自由だ、とルターは言います。「キリスト者はすべてのものに仕える(ことのできる)僕であって、だれにでも服する。」キリストのために仕え、隣人のために仕えることのできる自由な僕になる。私たちは与えられた自由を罪を犯す機会とするのではなく、愛をもって隣人に仕えるために用いる。ルターはそう言うのです。
私たちは広い大地に立たせて頂きました。息をつくことができるし、大きくのびをすることができる。私たちは自由です。ですからしっかりと立ちましょう、この足で。キリストがしてくださったように、誰に対しても僕として仕える自由をもって、自由な大地を歩いて行きましょう。
この自由を得させるために、キリストは私たちを解放してくださいました。ですから、しっかり立って、二度と奴隷の軛につながれてはなりません。(ガラテヤ5:1)
改革者マルティン・ルターの名著『キリスト者の自由』は、一見すると相矛盾する次の二つの命題から始まっています。
「キリスト者はすべてのものの上に立つ自由な主人であって、だれにも服しない。
キリスト者はすべてのものに仕える(ことのできる)僕であって、だれにでも服する。」
キリストは私たちを自由にしてくださいました。私たちは律法の下に管理された奴隷(僕)ではありません。
主イエスは、「真理はあなたがたを自由にする」とおっしゃいました。キリストの真理は私たちを解放する。自由にする。私たちはキリストを信じて不自由になるのではない。キリストを信じたら窮屈で不自然な生き方を強いられるのではない。自由にされる。神様の御前に、私らしく、伸び伸びと生きることができる。
ところがそれは、僕として生きることのできる自由だ、とルターは言います。「キリスト者はすべてのものに仕える(ことのできる)僕であって、だれにでも服する。」キリストのために仕え、隣人のために仕えることのできる自由な僕になる。私たちは与えられた自由を罪を犯す機会とするのではなく、愛をもって隣人に仕えるために用いる。ルターはそう言うのです。
私たちは広い大地に立たせて頂きました。息をつくことができるし、大きくのびをすることができる。私たちは自由です。ですからしっかりと立ちましょう、この足で。キリストがしてくださったように、誰に対しても僕として仕える自由をもって、自由な大地を歩いて行きましょう。