2024年10月7日月曜日

2024年10月7日の聖句

私たちの過ちが私たちに不利な証言をしても、主よ、御名のために事をなしてください。(エレミヤ14:7)
もし、人の過ちを赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたをお赦しになる。(マタイ6:14)

主イエスさまが教えてくださったこと。神が私たちに求めておられるのは、私たちが神に赦していただいたように私たちも人の過ちを赦すこと。これだ、と主イエスはおっしゃいます。私たちが他人の過ちで傷つけられ、迷惑をかけられ、被害を蒙ったときにそれを赦すこと。それが神の御心だ、と主イエス・キリストはおっしゃるのです。
私たちにとってこれほど身近で、しかも難しい命令はないと思います。一般的に問題ある人や悪そうな人を受け入れるというだけでも大変です。それどころか主イエスは、自分に迷惑をかけ過ちを犯した人を赦せ、とおっしゃるのです。
きっと、私たちはその難しさを通してしか、神の赦しがどんなに大きく深い恵みであるのかが分からないのだと思います。私が骨身に染みて神の赦しの恵みに感謝できるのは、自分の罪がどんなに醜悪で、赦しがたく、ひどいものであるのかが分かったときです。しかし、私には残念ながらそれは分からない。自分が赦せないという経験を経なければ。
いや、もっとちゃんと考えるなら、それでも分からないのが私たちです。私たちは、自分の「赦せない」を正当化します。赦せないのは当然だとすぐに開き直ります。私たちが本当に神の赦しの恵みを知るのは、キリストの十字架の苦しむお姿を仰ぐときなのだと思います。私のために苦しんでおられる神の御子を仰ぎ、そのお姿に圧倒されることによってしか、私たちは自分の罪を知ることができない。しかしそれは同時に、私の罪の大きさなど及びもつかないほどに圧倒的な神の憐れみとキリストの愛の力のすさまじさの中での出来事以外のものではありません。キリストの十字架の前に、罪人の私たちは身をかがめ、この方を崇めるばかりです。

2024年10月6日日曜日

2024年10月6日の聖句

今週の聖句:
すべてのものがあなたに目を向けて待ち望むと、
あなたは時に応じて食べ物をくださる。(詩編145:15)

今日の聖句:
見よ、諸国民は手桶の滴のように、天秤の埃のように見なされる。(イザヤ40:15)
神はユダヤ人だけの神でしょうか。異邦人の神でもないのですか。そうです、異邦人の神でもあります。(ローマ3:29)

神は、ユダヤ人の神であり、異邦人の神でもいらっしゃいます。キリスト者の神であり、キリスト者ではない人の神でもあります。すべてのものを造り、生み出し、すべてを支配しておられる神。私たちが信じるのは、天と地のすべてを支配しておられる神です。
そのような神様からご覧になったら、確かに私たちは手桶の滴、天秤の埃でしかないでしょう。神さまの目に留まらないでしょうし、いてもいなくても分からないくらいに小さなものに過ぎません。しかし、そのような私たちに神は御心を留めてくださいます。ただの一滴に過ぎず、小さな埃の粒に過ぎない私たちを神は憶えていてくださり、愛してくださっている。
一体、私たちは何者なのでしょう。私たちが何者なので、神は私たちを憶えてくださるのでしょう。
私たちは何者でもない。ただ神の憐れみのゆえに、ただ神の愛の深さのゆえに、神は私たちを覚え、今日も私たちを御心に留めてくださっているのです。

2024年10月5日土曜日

2024年10月5日の聖句

御名のために、私たちを退けないでください。あなたの栄光の座を辱めないでください。(エレミヤ14:21)
神は、あらかじめ知っておられたご自分の民を退けたりなさいませんでした。(ローマ11:2)

私たちが神様に退けられたとしても、一体何と文句を言うことができるでしょう。神が与えてくださった人生を粗末にし、不足に文句ばかりつぶやき、神がお造りになった世界を破壊し、隣人を傷つけることに鈍感・・・。そして何よりも、神さまを蔑ろにし、神の子を十字架につけた私たちです。神に退けられ、捨てられても何の申し開きもできません。
しかし、それでも神さまは憐れみを求める私たちの祈りに耳を傾けてくださいます。「御名のために、私たちを退けないでください。あなたの栄光の座を辱めないでください。」ここで、「御名のために」と言っています。御名、というのは神さまのお名前のことです。私たちを捨てては神さまのお名前に傷が付きますと言っている。かなり大胆な物言いです。図々しいと思います。しかし、私のためにとか、私にも良いところがあったと思いますとか、そのようなことが一切言えない、何の申し開きもできないと知っているからこそ、神さまのお名前しか頼るものがない、ということではないでしょうか。
神さまは、私たちを愛してくださっています。「神は、あらかじめ知っておられたご自分の民を退けたりなさいませんでした。」退けるべき私たち、捨てるべき私たちを、神さまは退けず、捨てず、ご自分の民として新しくしてくださいます。神は私たちを愛し抜いてくださいます。あなたの今日一日も、この神の愛の中で始まっているのです。

2024年10月4日金曜日

2024年10月3日の聖句

私の目はあなたの仰せを思い焦がれ、絶え入りそうです。いつ私を慰めてくださるのか、と問いかけます。(詩編119:82)
憐れみを受け、恵みにあずかって、時宜に適った助けを受けるために、堂々と恵みの座に近づこうではありませんか。(ヘブライ4:16)

神さまは私たちを招いてくださっています。ご自分の御許、ご自身のそば近くに。聖なるお方です。罪深く、汚れた私です。しかし、私たちは神の御前に出ることが許されています。「憐れみを受け、恵みにあずかって、時宜に適った助けを受けるために、堂々と恵みの座に近づこうではありませんか。」
今日の新約の御言葉は本当にすごい言葉です。神の憐れみが、神の恵みが私たちを神の御前へと連れ出してくださいます。神の御前で私たちは堂々としていられる。「敷居が高い」という言葉があります。本来は不義理をしたために相手のところへ行きにくい状態を指します。まさに私たちにとって礼拝は敷居が高い場所です。神さまに不義理な私は、神の前に堂々と出られるわけではない。それでも神の方が私を招いてくださっている。堂々と進み出ることができる。
しかも、「時宜に適った助けを受けるため」と言います。神さまは私たちを助けてくださる。「私の目はあなたの仰せを思い焦がれ、絶え入りそうです。いつ私を慰めてくださるのか、と問いかけます。」私たちの欠け、しかも神さまにしか埋めることのできない欠け。私たちは神さまに求めるし、神の助けを必要としている。神はあなたを慰めるために、今日も御言葉を語りかけ、祈りへと導いてくださっている。神があなたのいる部屋の戸を叩いておられます。開けてほしい、私だ、と神が呼びかけておられます。

2024年10月3日木曜日

2024年10月3日の聖句

(主は)僕の言葉を成就させ、使者の計画を実現させる。エルサレムについては、「人が住むようになる」と。ユダのそれぞれの町については、「再建され、その廃墟を私は復興させる」と。(イザヤ44:26)
私たちは、預言の言葉をより確かなものとして持っています。夜が明け、明けの明星があなたがたの心の中に昇るときまで、暗いところに輝く灯として、この言葉を心に留めておきなさい。(2ペトロ1:19)

預言者の前には、戦争に敗れ、滅んでしまった都があります。瓦礫の山となり、人の住むことのできない場所です。かつては賑わい、この場所で人々が神を礼拝していた。それが今やただの廃墟になってしまった。
ところが神さまの約束の言葉が響きます。「(主は)僕の言葉を成就させ、使者の計画を実現させる。エルサレムについては、『人が住むようになる』と。ユダのそれぞれの町については、『再建され、その廃墟を私は復興させる』と。」
聖書の約束の言葉は「こういう状況だから希望がある」という種類のものではありません。状況が少しずつ好転し始めているから、とは言いません。頑張ればなんとかなるから、ということではない。目の前には希望がない、新しくなる気配もない。しかし、それにもかかわらず。この「にもかかわらず」に信仰が働きます。私たちは目の前の状況にもかかわらず、神が新しい出来事を始めてくださると信じています。
私たちの生きる世界は暗い。どこにも希望が見えない。しかし、明けの明星は必ず輝く。キリストという明けの明星です。キリストという希望のしるしです。私たちはキリストとその御言葉によって確かになる神の救いを待ち望んでいます。私たちは目の前の状況「にもかかわらず」働いてくださる神を信じ、その救いを待ち望みます。

2024年10月2日水曜日

2024年10月2日の聖句

彼らは飢えることも渇くこともなく、熱風も太陽も彼らを打つことはない。彼らを憐れむ方が導き、水の湧く所に連れて行かれるからだ。(イザヤ49:10)
主よ、渇くことがないように、また、ここに汲みに来なくてもいいように、その水をください。(ヨハネ4:15)

私たちの魂の渇きを、飢えを、主イエスさまはよく知っていてくださいます。その上で、私たちを決して放っておいたり捨てたりなさらずに、私たちに命の水をくださいます。「主よ、渇くことがないように、また、ここに汲みに来なくてもいいように、その水をください。」私たちも同じように訴えるし、私たちにもキリストが下さる命の水が必要なのです。そんな私たちに神は応えてくださいます。「彼らは飢えることも渇くこともなく、熱風も太陽も彼らを打つことはない。彼らを憐れむ方が導き、水の湧く所に連れて行かれるからだ。」
キリストを慕い求めましょう。あなたに命の水をくださる方です。キリストを信じましょう。この方の与える命の水の泉は、あなたの魂の渇きと飢えを確かに癒やしてくださるからです。
この世界には私たちを潤すと喧伝するまがい物がたくさんあります。しかしどんなに物に囲まれても、欲望を満たしても、他人の物を自分の物にしたとしても、私たちの魂はそれではどうにもなりません。キリストにしか癒やすことのできない渇きがあるのです。私たちの本当に求めているもの、私たちが本当に必要としているのは、キリストに示された神の愛です。主のもとへ行きましょう。私たちがもはや渇くことのない命の水を、この方が尽きることなく準備してくださっています。

2024年10月1日火曜日

2024年10月1日の聖句

10月の聖句:
主の慈しみは絶えることがない。その憐れみは尽きることがない。それは朝ごとに新しい。あなたの真実は尽きることがない。(哀歌3:22~23)

今日の聖句:
主よ。私は国々の中であなたに感謝し、御名をほめ歌おう。(詩編118:50)
主よ、誰があなたの名を畏れず、崇めずにおられましょう。聖なる方は、あなただけです。(黙示録15:4)

賛美は、感謝から始まります。数えましょう、私たちの生活の中に散りばめられている神の恵みを。それは密やかで控えめですから、私たちがしっかり探さないと見逃してしまいます。神さまはこれ見よがしにご自分の贈り物をお与えになるのではなく、私たちの生活の中に、そこにあることが自然であるかのように備えてくださいます。私たちは朝になると太陽が輝くこと、晴れた日も雨の日もあること、暑さと寒さが巡ることを神の恵みとして覚え、感謝しているでしょうか。私たちの周りに隣人がいること、教会の営みが今日も献げられていることに感謝しているでしょうか。キリストのお体のために感謝をもって献身しているでしょうか。
賛美は感謝から始まります。私たちを取り囲む神の恵みに気付き、覚え、感謝をささげましょう。神のお名前をほめたたえ、賛美を献げ、神を崇めましょう。聖なる神、主イエス・キリストの父なるお方、天と地の造り主。主の御名を崇め、主を礼拝して、今日の一日を過ごしていきましょう。

2025年8月30日の聖句

主よ、あなたは私を回復させ、生かし続けてくださいました。(イザヤ38:16) 時に、プブリウスの父親が熱病と下痢で床に就いていたので、パウロはその人のところに行って祈り、手を置いて癒やした。(使徒28:8) 熱病や下痢を初めとして、あらゆる病に苦しむ仲間のために私たちは祈ります。...