2024年6月29日土曜日

2024年6月29日の聖句

若き日に、あなたの造り主を心に刻め。災いの日々がやって来て「私には喜びがない」と言う齢(よわい)に近づかないうちに。(コヘレト12:1)
(私は)ここをたち、父のところへ行って言おう。「お父さん、私は天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人にしてください。」(ルカ15:18~19)

今日与えられている新約聖書の御言葉は、主イエスのなさったたくさんの譬え話の中でもことのほか印象深い「失われた息子」の話に出て来る言葉です。父親の元を飛び出して遠い外国に出奔した息子。主イエスはこの父の姿に託して神の愛を、そして息子の姿に託して私たちの現実をお話になりました。
息子は、父、つまり神のもとから離れて生きることが自分らしい人生だと思い込んでいました。自分の欲望を満たし、好きなように生きることが幸いだと考えていました。ところが、お金がなくなり、誰も周りにいなくなって、自分がとても惨めな存在だということに気付きました。
「若き日に、あなたの造り主を心に刻め。災いの日々がやって来て「私には喜びがない」と言う齢に近づかないうちに。」
喜びを失い、自分という存在を支えてくれると思ってきたものが実は頼りにならないことに気付いたとき、私たちは一体どうしたら良いのか。「あなたの造り主を心に刻め」と、聖書は言います。主イエスは、あなたの父である神を思い起こし、神の御許に帰れ、とおっしゃいます。このお方にこそ私たちの幸いが、私たちの喜びがあるからです。主イエス・キリストを知り、造り主である神を、今こそ仰ぎましょう。

2024年6月28日金曜日

2024年6月28日の聖句

私の心は主に信頼し、私は助けられ、心は喜び躍る。私は歌を献げて主に感謝する。(詩編28:7)
だから、イエスを通して、賛美のいけにえ、すなわち御名をたたえる唇の実を、絶えず神に献げましょう。(ヘブライ13:15)

旧約の時代、神の民は動物をいけにえとして献げて神を礼拝していました。手塩にかけて育てた動物の血を流し、その犠牲をもって、心から神さまを礼拝していました。今日の新約聖書には「賛美のいけにえ」という言葉があります。私たちは、旧約の民が時間と労力を注いで育てた動物をいけにえとして献げたのと同じ思い、同じ信仰をもって神を礼拝し、心からの賛美を神に献げます。神を賛美し、神の恵みをたたえることこそ、私たちの喜びです。
「私の心は主に信頼し、私は助けられ、心は喜び躍る。私は歌を献げて主に感謝する。」代々の信仰者が歌をもって神を賛美してきたということは、私たちにとってはかけがえのない贈り物です。私たちも歌をうたって神を賛美します。心を込めて歌い、喜びをもって賛美を献げます。例え私たちは小さくても、天の大軍の歌声に私たちの歌も響いています。私たちも神を賛美する天使たちの一員になって神を礼拝しています。
主イエス・キリストの父である神様。私たちはこのお方の御名をほめたたえ、絶えず神に賛美を献げます。今日も、私たちは神を賛美するために生きています。私たちの歌を、祈りを、信仰を、喜びを、神へのいけにえとして、心から献げましょう。

2024年6月27日木曜日

2024年6月27日の聖句

角笛のように、あなたの声を上げよ。
私の民にその背きの罪を告げよ。(イザヤ58:1)
イエスは、「悔い改めよ。天の国は近づいた」と言って、宣べ伝え始められた。(マルコ4:17)

主イエス・キリストの赦しの御言葉を聞き、信仰を与えられて知ることは、自分がどうしようもない罪人であるという事実です。キリストの愛に触れ、キリストの憐れみを知り、キリストの福音を聞いたとき、私たちは初めて自分がどんなにひどい罪人なのかという事実を知ります。
「角笛のように、あなたの声を上げよ。私の民にその背きの罪を告げよ。」
キリストは、私たちに教えてくださいました。「我らに罪を犯す者を我らが赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ」と祈ることを。そう聞くと、自分はどうも赦せない、人の罪を赦すことは本当に難しいと思います。確かにそれはそうですが、本当に難しいのは、自分が赦して頂かなくては生きられない惨めな罪人であると知ることです。一万タラントン赦されたから生き延びている惨めな人間であると知ることです。自分の罪の悲惨な現実が、しかし赦されていることを骨身に染みて知ったら、赦すものとしてしか生きられないのではないでしょうか。
「悔い改めよ。天の国は近づいた。」主イエス・キリストはそう宣べ伝えられます。天の国は近づいた。神の御支配、神の憐れみが支配する国はもうここまで来ている。あなたのところにまで!主はそう宣言してくださいます。悔い改めて、あなたのために響いている赦しの福音を聞け、と主は言われるのです。キリストの赦しの御言葉が無ければ生きられない惨めさを知り、しかしなお告げられている赦しの言葉を信じる。それこそ、悔い改めです。

2024年6月26日水曜日

2024年6月26日の聖句

主の行われた奇しき業を、
奇跡と主の口から出る裁きとを心に留めよ。(詩編105:5)
どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。(1テサロニケ5:18)

主がしてくださったことを心に留めよ、と聖書は言います。主がしてくださったこと、その奇しき業、奇跡、主の口から出る裁き。本当はそれらはいつも私たちの前にあるのに、私たちはそれをすぐに忘れ、あるいは見逃してしまっているのではないでしょうか。
そうすると、いつの間にか私たちの心は不平不満でいっぱいになってしまいます。神さまは何もしてくださらない、祈っても知らんぷりばかりしている。でも本当は、神さまはいつも私たちのために素晴らしい御業をしてくださっている。それなのにこちらが気付かないだけ・・・というのが本当のことなのかもしれません。
「どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。」ここに「キリスト・イエスにおいて」とあります。私たちの感謝はキリストにあって自分や周りを見つめ直すときに生まれるのではないでしょうか。キリストの愛がこの私においても実現している。神さまは「それが見えないのか」、と私たちにおっしゃっているのではないでしょうか。
キリストを見上げ、キリストのしてくださった十字架と復活の御業を思い起こし、今日の一日を歩んでいきましょう。主イエス・キリストの内に神がしてくださったことは、この私のためにしてくださったことです。キリストの出来事を胸に刻んでいただきましょう。

2024年6月25日火曜日

2024年6月25日の聖句

聞け、心のかたくなな者たち、正義から遠ざかっている者たちよ。私は私の正義を近づけた。それは遠くはない。(イザヤ46:12~13)
人は心で信じて義とされ、口で告白して救われるのです。(ローマ10:10)

心を柔らかくして、主イエスさまへの愛と信仰を抱くことができますように。今日、新しい思いでそう祈りたいと願います。
「聞け、心のかたくなな者たち、正義から遠ざかっている者たちよ。私は私の正義を近づけた。それは遠くはない。」私は心頑なではないか。この御言葉を読むと、そう思わないわけにはいきません。心固く、主なる神さまからの愛を拒み、主を愛することを拒んではいないか。正義から遠ざかり、自分の思いに固執しているのではないか。しかし、聖書はそんな私たちに告げます。「私は私の正義を近づけた」と神が言ってくださっている、と。神が近づけてくださった。私たちが正義の名に値するものになれたとか、私たちが心がけを変えることができたとか、そのようなことではなく、神がご自分の正義を私たちに近づけてくださった。
その神の正義そのものでいらっしゃるイエス・キリストが私たちの間に来てくださいました。私たちのところにキリストが来てくださいました。キリストに示してくださった神の愛を信じ、このお方への信仰を告白する一日を生きていきたいと願います。一人での祈りの内に、隣人と共に生きる歩みの内に、キリストへの愛が実る一日でありますように。

2024年6月24日月曜日

2024年6月24日の聖句

(主よ、)あなたの憐れみが私を訪れ
私を生かしてくださいますように。(詩編119:77)
私は、こう祈ります。あなたがたの愛が、深い知識とあらゆる洞察を身に着けて、ますます豊かになりますように。(フィリピ1:9)

主なる神さまの憐れみに生かされて、私たちも愛の人として生きられますように。それが私たちの願いです。
使徒パウロの祈りの言葉が記されています。「あなたがたの愛が、深い知識とあらゆる洞察を身に着けて、ますます豊かになりますように。」愛が豊かになるためには、深い知識とあらゆる洞察が必要だ、と言います。
愛するとは想像することだ、とある人に言われたことがあります。相手が何を思い、何を願い、あるいはどうして悲しみ、何が本当に必要なのか。そういったことを想像し、相手に寄り添い、心から心への言葉を語りかけ、するべきことをする。想像力を伴う思いやりが愛するということに他ならない。そういう愛には、深い知識とあらゆる洞察が必要です。自分がしたいと思うことを押しつけたり、勝手な気持ちで振る舞ったり、見当違いのことをしたりするのではなく、相手を知り、理解し、思いやりをもって寄り添う力が、愛する力です。
そのような愛を神が私たちの内に豊かにしてくださいますように。パウロはそう祈ります。私たちも同じように祈りたい。祈りつつ、今日も新しい思いで隣人と出会いたいのです。

2024年6月23日日曜日

2024年6月23日の聖句

今週の聖句:
互いに重荷を担いなさい。そうすればキリストの律法を全うすることになります。(ガラテヤ6:2)

今日の聖句:
私は兄弟たちにあなたの名を語り伝えよう。(詩編22:23)
(パウロの手紙)きょうだいたち、どうか知っておいてほしい。私が告げ知らせた福音は人によるものではありません。(ガラテヤ1:11)

福音、それは人から生まれたものではありません。私たちには自分の問いがあり、生きる上での問題があります。しかし、私たちは「十字架」が答えであるような問いをもっていたでしょうか?私たちは「罪の赦し」や「復活」が答えであるような問いをもっていたでしょうか?主イエスは私たちが聞きたいことではなく、本当に聞くべきことをお語りくださいます。私たちに命を与える福音を、キリストは私たちに告げ知らせてくださいます。
私たちは神の子の十字架の死を福音として信じています。私たちは人の子の復活からでしか聞こえてこない福音を信じています。私たちは罪の赦しと体の甦りを信じている。神が私たちに聞かせてくださる良き知らせを、私に命を与え、私たちを一つの民として共に生かす神の言葉と信じている。人によるのではない福音によって、私たちの「今日」は保たれています。
福音の言葉を与えてくださる神の御前に、今日私たちは頭を垂れて祈り、心を合わせて賛美を献げます。主イエス・キリストに栄光がありますように。

2025年8月30日の聖句

主よ、あなたは私を回復させ、生かし続けてくださいました。(イザヤ38:16) 時に、プブリウスの父親が熱病と下痢で床に就いていたので、パウロはその人のところに行って祈り、手を置いて癒やした。(使徒28:8) 熱病や下痢を初めとして、あらゆる病に苦しむ仲間のために私たちは祈ります。...