第105編と同じようにイスラエルの民の歴史を想起するが、この詩編の独自性は想起するのが罪の歴史であることだ。数々の信仰者の過ちが告白される。自分と関係のない者を安全地帯から非難しているのではない。わが歴史として罪を告白するのだ。神に背いてきた歴史を直視するとき、知る。「主はなお、災いにある彼らを顧み、その叫びを聞き、彼らに対する契約を思い起こし・・・」。歴史における罪の告白。私たちも同じ課題を背負っている。
2026年7月22日の聖句
すると主は(モーセに)言われた。「あなたと共にいる民は皆、主の業を見るであろう。」(出エジプト記34:10) 群衆は、口の利けない人がものを言い、手の不自由な人が治り、足の不自由な人が歩き、目の見えない人が見えるようになったのを見て驚き、イスラエルの神を崇めた。(マタイ1...
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さがみ野教会の皆さま おはようございます。 気持ちのいい、爽やかな秋空の朝を迎えました。お変わりなくお過ごしでしょうか。 明日14日の日曜日の礼拝は成長感謝礼拝(子ども祝福式)です。 讃美歌や説教などが子ども向けのものとなり、大人と子どもとが共に神さまを礼拝し、子どもたちへの祝福...
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主よ、私の祈りをお聞きください。私の叫びに耳を傾けてください。私の涙に黙していないでください。(詩編39:13) (一人の罪深い女が)イエスの背後に立ち、イエスの足元で泣きながらその足を涙でぬらし始め、自分の髪の毛で拭い、その足に接吻して香油を塗った。イエスは女に言われた。「あな...
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1. ヨハネによる福音書は最後の晩餐の場面をとても長く書いている。全部で21章の福音書の内の5章、4分の一に近い。しかも、いわゆる受難週の記事の殆どがこの晩餐の場面だ。その最後の晩餐を覚える祈祷会をこの木曜日に献げている。キリストがしてくださったように私たちもするのだ。主が...