2020年1月29日水曜日

2020年1月29日(マタイによる福音書23:1~22)

マタイによる福音書23:1~22;
「律法学者たちやファリサイ派の人々は、モーセの座についている」と言って、話が始まっています。モーセの座というのは、旧約聖書に記された律法のことでしょう。彼らが教えていることは聖書に書かれた律法であって、言っていること自体が間違っているわけではない。「だから、彼らが言うことは、すべて行い、また守りなさい。しかし、彼らの行いは、見習ってはならない。言うだけで実行しないからである。」言っていることは正しいが、行いは間違っている。彼らは自分たちが教えている律法に実際には生きていないし、生きようともしていない。主イエスはそのように言われます。主イエスは、教える者たちの偽善を指摘し、糾弾しています。
いくつもの指摘が続いていますが、この言葉は端的に言い表されていると思います。「律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたがた偽善者に災いあれ。あなたがは、改宗者を一人つくろうとして、海や陸を巡り歩くが、改宗者ができると、自分よりも倍も悪いゲヘナの子にしてしまう。」ある人が神様を信じ、信仰生活を始める。すると、新しい信仰の生活のモデルが必要です。偽善者たちは口ばかりで実際に律法に従って生きようとはしない。それが悪いモデルになって、信仰なんてどうせこの程度のものかと改宗者は見下げて結局ゲヘナの子になってしまう、と言っておられるのでしょう。
主イエスの指摘は、本当に厳しいです。私たちが何を言っているのかではなく、どう生きているのかを問題にしておられる。だから、ごまかしがききません。先日亡くなった、医師の中村哲先生のお別れの会のことが新聞に載っていました。お子さんがインタビューに答えて、父は言葉ではなく行動を信じるといつも言っていたという趣旨のことをおっしゃっていました。この一人の存在も、私たちに、主イエスと同じ問いを投げかけているのだと思います。
私たちは、キリストを信じてどのように生きているのでしょう。私たちが信じているのは、キリストが命を献げてくださったという高価な恵みによる救いです。私たちの変革を呼び覚まします。私たちは弱いですし、中村先生のような方に触れると、ああはできないと思ってしまいます。キリストが、この私の内に生きてくださって、この私の手や足をご自身の御業のために用いてくださいますようにと祈るよりほかありません。キリストは、求める者に必ず聖霊を与えると約束してくださいました。そのための祈りを献げて、今日一日を始めましょう。「造り主なる聖霊よ、私たちの心に訪れ、あなたの造られた魂を高き恵みによって満たしてください!」

2024年12月26日の聖句

私が主、彼と共にいる彼らの神であり、彼らがわが民イスラエルの家であることを、彼らは知るようになるーー主なる神の仰せ。(エゼキエル34:30) 今日ダビデの町に、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。(ルカ2:11) 天使が羊飼いたちに向かって宣言し...