2022年11月8日火曜日

2022年11月8日の聖句

「私は若すぎる」と言うな、そうではなくて、私が派遣するところにどこへでも行き、私があなたに命じることをすべて語れ。(エレミヤ1:7)
恐れるな、そうではなく語れ、沈黙するな。私があなたと共にいるからだ。だから誰も無謀にもあなたを害するものはいない。(使徒18:9~10)

「私は若すぎる。」他にも「年を取り過ぎた」とか「経験がないから」とか「自信がない」とか「口下手だから」とか、いくらでも出てきます。そうではない、と主なる神さまはおっしゃいます。私たちがどのようなものであろうとも、そういう私たちをお造りになったのも、選んだのも、すべては神さまです。むしろ大切なことは「私が派遣する」と言っているとおり、神さまが私を派遣した、という事実です。それだけでよい、と神さまは言われるのです。
ずいぶん前に、NHKのプロフェッショナルという番組に、瀬谷ルミ子さんという方が出演しておられました。武装解除を仕事としている方です。世界中の紛争地に行って、ゲリラやテロリストや政府などを相手にして、武装解除するように説得しそのための援助する活動をしておられる方でした。とてもすばらしい方でした。あの番組では、最後に「プロフェッショナルとは」と問うて、その人の答えを聞きます。瀬谷さんは、「できない理由を探さない人」と言っていました。強烈な印象を残しました。時々リフレインしてきては胸に突き刺さってくる言葉です。
「私は若すぎる」などの言い訳は、私たちにとっては自分なりにもっともらしいできない言い訳です。しかし神さまはそういう私たちの抱えているいろいろな理由ではなく、ご自分が共にいることや、神さまがお遣わしになったという事実を私たちにお見せになります。「私は若すぎる」と言うなとおっしゃる神さまは、そのための根拠をもお示しになっています。神が私をお遣わしになった。それが私たちにとって本当はいちばん大切なことです。主が共にいてくださるなら、無謀にも私たちを害することは誰にもできない、とまで言います。私たちの肉体を損なうことはできても、魂を損なうことは誰にもできない。それは神さまにしかできない。
「神が共におられます。平安のうちに出かけて行きなさい。」礼拝の最後の派遣の言葉として、たびたび読まれるものです。まさに、神は今日も共にいてくださいます。だから、私たちに立ちはだかるものは何もない。平安のうちに、今日、神が遣わしてくださるところへ出て行きましょう。

2024年12月27日の聖句

遠く地の果てまで、すべてのものが我らの神の救いを見た。(詩編98:3) また、幸いなる希望、すなわち大いなる神であり、私たちの救い主であるイエス・キリストの栄光の現れを待ち望むように教えています。(テトス2:13) すてきな言葉です。「幸いなる希望」と言っています。私たちにとって...