お前たちは鉢でぶどう酒を飲み、抜きん出て高価な香油を用いているが、自分たちの国が沈み行くことについて気にもかけない。(アモス6:6)
ぶどう酒に酔ってはいけません。そこには放蕩があるからです。むしろ、御霊に満たされなさい。(エフェソ5:18)
鉢からぶどう酒を飲むというのはどういう意味なのか。恐らく、ガバガバたくさん飲んだくれている、ということなのだと思います。酒に酔いしれて良い気持ちになって、自分の周りで一体何が起こっているのかを見ようともしない。抜きん出て高価な香油でおしゃれを楽しみ、その香りに夢中になっているが、自分たちが生きている国が沈んでいることを気にしていない。
これは、そのまま私たちに当てはまってしまいます。私たちの国も、どう考えても明らかに沈んでいます。地盤沈下が止まらない。私たちの国はあの陥没した道路と同じです。目に見えないところで水があふれ、地盤が脆弱になり、どこに穴が出現するか分かりません。子どもたちが大人になる時代に私たちの国は一体どうなっているのか。貧すれば鈍すると言いますが、経済的に貧しくなり、心もさもしい社会になってはいないでしょうか。
ところが、私たちはそういう社会の様相を知りながら見て見ぬ振りをしている、というのが今日の御言葉の指摘です。この社会に生きるたくさんの人の共通のプラットホームを守るために、皆が健やかにいきられるように、私たちキリスト者にもできることがあるはずだ、と今日の御言葉は訴えかけているのではないでしょうか。
新約では「御霊に満たされなさい」と言っています。神の霊に満たされる。私たちが信仰者でなければできない仕方で、この社会を支えるためにするべきことがある、ということであろうと思います。
私たちはキリストが宣言した神の国を知っています。共に生きるキリスト者の交わりに加えられています。私たちは「共に生きる」という価値を本当によく知っているのではないでしょうか。この世界は今それを欲しています。共に生きる場が必要です。家族共同体も地域共同体もいろいろなところで壊れています。その代替になっていた会社共同体も、共同体としての力は失われているように思います。しかし私たちは神の国という究極の共同体を知っています。他とは比べられない、キリストご自身の体です。共に生きる場を形成するために、神は私たちをこの世へ送り出しておられます。神の霊に満たされ、神の霊に力を頂いて、神の国に仕えるためにこの世界に遣わされているのです。
ぶどう酒に酔ってはいけません。そこには放蕩があるからです。むしろ、御霊に満たされなさい。(エフェソ5:18)
鉢からぶどう酒を飲むというのはどういう意味なのか。恐らく、ガバガバたくさん飲んだくれている、ということなのだと思います。酒に酔いしれて良い気持ちになって、自分の周りで一体何が起こっているのかを見ようともしない。抜きん出て高価な香油でおしゃれを楽しみ、その香りに夢中になっているが、自分たちが生きている国が沈んでいることを気にしていない。
これは、そのまま私たちに当てはまってしまいます。私たちの国も、どう考えても明らかに沈んでいます。地盤沈下が止まらない。私たちの国はあの陥没した道路と同じです。目に見えないところで水があふれ、地盤が脆弱になり、どこに穴が出現するか分かりません。子どもたちが大人になる時代に私たちの国は一体どうなっているのか。貧すれば鈍すると言いますが、経済的に貧しくなり、心もさもしい社会になってはいないでしょうか。
ところが、私たちはそういう社会の様相を知りながら見て見ぬ振りをしている、というのが今日の御言葉の指摘です。この社会に生きるたくさんの人の共通のプラットホームを守るために、皆が健やかにいきられるように、私たちキリスト者にもできることがあるはずだ、と今日の御言葉は訴えかけているのではないでしょうか。
新約では「御霊に満たされなさい」と言っています。神の霊に満たされる。私たちが信仰者でなければできない仕方で、この社会を支えるためにするべきことがある、ということであろうと思います。
私たちはキリストが宣言した神の国を知っています。共に生きるキリスト者の交わりに加えられています。私たちは「共に生きる」という価値を本当によく知っているのではないでしょうか。この世界は今それを欲しています。共に生きる場が必要です。家族共同体も地域共同体もいろいろなところで壊れています。その代替になっていた会社共同体も、共同体としての力は失われているように思います。しかし私たちは神の国という究極の共同体を知っています。他とは比べられない、キリストご自身の体です。共に生きる場を形成するために、神は私たちをこの世へ送り出しておられます。神の霊に満たされ、神の霊に力を頂いて、神の国に仕えるためにこの世界に遣わされているのです。