2026年7月10日金曜日

2026年7月10日の聖句

手の及ぶことはどのようなことでも
力を尽くして行うがよい。(コヘレト9:10)
そして、言葉であれ行いであれ、あなたがたがすることは何でも、すべて主イエスの名によって行い、イエスによって父なる神に感謝しなさい。(コロサイ3:17)

私たちが今日口に上らせる言葉も、私たちの手や足がすることも、どのようなことであっても「主イエスの名によって行い、イエスによって父なる神に感謝しなさい」と聖書は私たちに命じています。
主イエスの名によって語り、行動するというのはどういうことでしょうか?イエスによって父なる神に感謝するとは?少し細かい話になりますが、コロサイの信徒への手紙を原文ギリシア語で読んでみると、このように書かれています。「すべてを主イエスの名の内で行い」「彼を通して父なる神に感謝しなさい」。
主イエスのお名前の内で、その中で、と言っています。日本語には無い表現の仕方ですが、とても面白い言い回しだと思います。主イエスさまのお名前にすっぽり包まれるようにして、その中で生き、語り、行動する。そうすると、私たちの話す言葉やするべきことを決める基準は、私を包み込んでいるイエスのお名前ということになるはずです。イエスのお名前を蔑ろにしてはイエスの御名の内にいることになりませんから。私の今日一日の生き方は、イエスのお名前の中にあるものとしてふさわしいのか?
また「イエスを通して父なる神に感謝しなさい」と言います。今度は、イエスを通って、イエスを通過して父なる神に感謝を献げる、というイメージだと思います。他のどこかを通るのではなく、ただイエスを通って行く。登山にたとえて考えてもいいかもしれません。近道っぽく見えるところを通ると、却って遭難のリスクが増えます。ちゃんと山道を通らないといけない。それらしいものではなく、正規の道を通ることが大切です。私たちは神に感謝を献げ、神に礼拝を献げるために、イエス以外の道を通ることはできないのです。
私たちの言葉も行いも、神に献げる感謝も、その基準は主イエスさまです。主イエスの中で、主イエスを通って、私たちは神と出会う。イエスこそ私たちのすべてです。

2026年7月10日の聖句

手の及ぶことはどのようなことでも 力を尽くして行うがよい。(コヘレト9:10) そして、言葉であれ行いであれ、あなたがたがすることは何でも、すべて主イエスの名によって行い、イエスによって父なる神に感謝しなさい。(コロサイ3:17) 私たちが今日口に上らせる言葉も、...