何と深い絶望の詩編であろうか。死を間近に見つめつつ、祈り続ける。絶望のどん底で神を求める。しかし、主はわたしの魂を突き放し、み顔を隠しておられる。そうとしか言いようがない。最終的に口からでた言葉。それは、「今、わたしに親しいのは暗闇だけです」である。最後まで救いがない。まるで、主の絶望を映すかのような詩編だ。「わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか」と。キリストは絶望した者の側らにおられる。
2017年9月28日木曜日
2024年12月27日の聖句
遠く地の果てまで、すべてのものが我らの神の救いを見た。(詩編98:3) また、幸いなる希望、すなわち大いなる神であり、私たちの救い主であるイエス・キリストの栄光の現れを待ち望むように教えています。(テトス2:13) すてきな言葉です。「幸いなる希望」と言っています。私たちにとって...
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さがみ野教会の皆さま おはようございます。 気持ちのいい、爽やかな秋空の朝を迎えました。お変わりなくお過ごしでしょうか。 明日14日の日曜日の礼拝は成長感謝礼拝(子ども祝福式)です。 讃美歌や説教などが子ども向けのものとなり、大人と子どもとが共に神さまを礼拝し、子どもたちへの祝福...
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神によって私たちは力を振るいます。(詩編60:14) きょうだいたち、神の憐れみによってあなたがたに勧めます。自分の体を、神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。(ローマ12:1) 今日の二つの御言葉がいっしょに掲げられているというのは本当に面白いなと思います。神によっ...
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仲間に向かって平和を口にするが心には悪意を抱いている「神に逆らう者」いる。しかし、私は主を呼び求めます、と告白する。「至聖所に向かって手を上げ、あなたに救いを求めて叫びます。」新約の信仰に生きる者にとって、この至聖所はキリストがおられる「恵みの座」であり、我らは大胆にもそこに近...