2025年5月8日木曜日

2025年5月8日の聖句

主はあなたがたに契約を告げ、あなたがたに行うよう命じられた。それが十戒である。主はその言葉を二枚の石の板に記された。(申命記4:13)
(イエスの言葉)私が来たのは律法や預言者を廃止するためだ、と思ってはならない。廃止するためではなく、完成するためである。(マタイ5:17)

ナチス・ドイツの時代に生きたキリスト教会は、その殆どが「ドイツ的キリスト者」と嘯いてナチの支配に屈してしまいました。しかしほんのごく少数の教会がナチに屈せずに信仰の道を守り通した。その教会がバルメン宣言と呼ばれる信仰告白を残しています。その第二条項にこのように告白されています。
「イエス・キリストは、われわれのすべての罪の赦しを告げる神の慰めである。それと同じように、同じ真剣さをもって、イエス・キリストは、またわれわれの生活のすべてに向けられる、神の力ある要求である。」
キリストという罪の赦しの福音は、同時に私たちを神の国の民として生かす神からの要求でもある。私たちは神に従い、神のものとしてこの世界で生きていきます。新しい生き方をキリストにあって私たちは求められている。
今日の聖書の御言葉を読んで、バルメン宣言のこの告白を思い起こしました。「私が来たのは律法や預言者を廃止するためだ、と思ってはならない。廃止するためではなく、完成するためである。」キリストは私たちに神の律法に従って生きることを求めておられます。私たちは、キリストを信じて新しくなります。新しい私になる。それは「キリストの弟子として生きる私」です。
バルメン宣言では先ほどの言葉に続いてこのように告白します。「イエス・キリストを通じて、われわれに起こるのは。この世が神を無視しつつわれわれに強いる束縛から解き放たれ、神が造られたものに対する自由で、感謝に満ちた奉仕へと向かわせて頂く喜びである。」キリストに従う道は、罪の束縛から解放される自由な喜びの生活。私たちもこの自由な喜びに生かされるために、律法という指針を頂いています。

2025年5月15日の聖句

神よ、砕かれ悔いる心を あなたは侮りません。(詩編51:19) (イエスの言葉)徴税人は遠くに立って、目を天に上げようともせず、胸を打ちながら言った。「神様、罪人の私を憐れんでください」。言っておくが、義とされて家に帰ったのは、この人である。(ルカ18:13~14) 「義とされて...