2026年7月22日水曜日

2026年7月22日の聖句

すると主は(モーセに)言われた。「あなたと共にいる民は皆、主の業を見るであろう。」(出エジプト記34:10)
群衆は、口の利けない人がものを言い、手の不自由な人が治り、足の不自由な人が歩き、目の見えない人が見えるようになったのを見て驚き、イスラエルの神を崇めた。(マタイ15:31)

主の業を見るであろう、と言われています。私たちは、目を開いてそれをしっかりと見ているでしょうか?今日の新約の御言葉にはこのように書かれています。「群衆は、口の利けない人がものを言い、手の不自由な人が治り、足の不自由な人が歩き、目の見えない人が見えるようになったのを見て驚き、イスラエルの神を崇めた。」主イエスの御業を目撃した人たちは驚きました。そして神を崇めました。こういうところを読むと、私たちは思ってしまいます。「私たちの間では、口の利けない人がものを言うようになったり、手の不自由な人が治ったり、足の不自由な人が歩いたり、目の見えない人が見えるようになったりしていない」と。私には神さまの業なんて見えない。
自分を満足させる証拠を見せてほしいという次元で考えていると、神さまの御業は見えなくなってしまうのだと思います。神さまは今何をしておられるのか。主はこの地にどのような御業をしておられるのか。そのことを祈りをもって、そしてへりくだって静かに見極め、受け止める。そういう信仰のまなざしが必要なのではないでしょうか。主は今何をしておられるのか。そのことを今日問うていきましょう。

2026年7月22日の聖句

すると主は(モーセに)言われた。「あなたと共にいる民は皆、主の業を見るであろう。」(出エジプト記34:10) 群衆は、口の利けない人がものを言い、手の不自由な人が治り、足の不自由な人が歩き、目の見えない人が見えるようになったのを見て驚き、イスラエルの神を崇めた。(マタイ1...