主よ、私に代わって争い、私を贖い
あなたの仰せのとおりに私を生かしてください。(詩編119:154)
(イエスの言葉)「娘よ、元気を出しなさい。あなたの信仰があなたを治した。」その時、女は治った。(マタイ9:22)
今日与えられている二つの御言葉ですが、旧約と新約とが少し矛盾しているように感じられます。旧約のほうでは「主よ、私に代わって争い」と言っています。主が私に代わってくださって、主ご自身が争ってくださいますように、と言っている。ところが新約のほうでは、主イエスが「あなたの信仰があなたを治した」とおっしゃっています。ここでは「あなたの信仰が」ということで、私たちの側の信仰がものを言っているようにも見えます。そうすると、旧約の御言葉とは矛盾しているように感じられます。どういうことなのでしょうか?
主イエスに「娘よ」と呼ばれているこの女性ですが、マタイによる福音書を開いてみると12年間も出血の止まらない病(つまり婦人病と思われますが)、に苦しんできた人でした。マタイが伝えているところによると、彼女は後ろから主イエスに近寄り、その衣にでも触れれば治していただけると信じて手を伸ばした。主イエスはそんな彼女をご覧になって「娘よ、元気を出しなさい。あなたの信仰があなたを治した」と言ってくださった。つまり、このお方には私を癒やす力があると信じたところに彼女の信仰があった、ということになると思います。
そうすると、私たちの「信仰」というのは、私たちの信じる力のことではないということではないでしょうか。私たちは自分の信じる力や敬虔な生き方によって自分を救うのではない。私たちの祈りの力強さが私たちを助けるのではない。主イエスこそが私を救ってくださるお方だと信じて、主に頼り切ること。それこそが私たちの信仰です。
そうすると、今日の新約は旧約とぴったりと重なっていることに気付きます。主ご自身が私たちのために、私たちに代わって戦ってくださる。そのお方だけが私を救ってくださるまことの神。私たちはこのお方を信じます。
あなたの仰せのとおりに私を生かしてください。(詩編119:154)
(イエスの言葉)「娘よ、元気を出しなさい。あなたの信仰があなたを治した。」その時、女は治った。(マタイ9:22)
今日与えられている二つの御言葉ですが、旧約と新約とが少し矛盾しているように感じられます。旧約のほうでは「主よ、私に代わって争い」と言っています。主が私に代わってくださって、主ご自身が争ってくださいますように、と言っている。ところが新約のほうでは、主イエスが「あなたの信仰があなたを治した」とおっしゃっています。ここでは「あなたの信仰が」ということで、私たちの側の信仰がものを言っているようにも見えます。そうすると、旧約の御言葉とは矛盾しているように感じられます。どういうことなのでしょうか?
主イエスに「娘よ」と呼ばれているこの女性ですが、マタイによる福音書を開いてみると12年間も出血の止まらない病(つまり婦人病と思われますが)、に苦しんできた人でした。マタイが伝えているところによると、彼女は後ろから主イエスに近寄り、その衣にでも触れれば治していただけると信じて手を伸ばした。主イエスはそんな彼女をご覧になって「娘よ、元気を出しなさい。あなたの信仰があなたを治した」と言ってくださった。つまり、このお方には私を癒やす力があると信じたところに彼女の信仰があった、ということになると思います。
そうすると、私たちの「信仰」というのは、私たちの信じる力のことではないということではないでしょうか。私たちは自分の信じる力や敬虔な生き方によって自分を救うのではない。私たちの祈りの力強さが私たちを助けるのではない。主イエスこそが私を救ってくださるお方だと信じて、主に頼り切ること。それこそが私たちの信仰です。
そうすると、今日の新約は旧約とぴったりと重なっていることに気付きます。主ご自身が私たちのために、私たちに代わって戦ってくださる。そのお方だけが私を救ってくださるまことの神。私たちはこのお方を信じます。