その日が来るーー主の仰せ。
私はイスラエルの家、およびユダの家と新しい契約を結ぶ。(エレミヤ書31:31)
(ペトロの言葉)この約束は、あなたがたにも、あなたがたの子どもたちにも、また遠くにいるすべての人にも、つまり、私たちの神である主が招いてくださるものなら誰にでも、与えられているものなのです。(使徒2:39)
新しい契約、と主なる神さまは言われます。神さまが私たちに手を伸ばし、神さまが御自ら私たちをご自分の子とし、私たちを愛してくださった。それが「新しい契約」の中身です。私たちの立派な信仰とか、私たちの立派な行いとか、私たちの熱心な態度が生み出すのではない。神さまが働き、神さまが私たちをご自分のものとしてくださる。そういう神さまからの一方的な約束を結ぼう、と主は言われます。
聖書のすごいところは、そういう良い知らせがすべての人を対象にしている、ということです。どんな人であっても神様の愛と慈しみの対象外という人はないのです。「この約束は、あなたがたにも、あなたがたの子どもたちにも、また遠くにいるすべての人にも、つまり、私たちの神である主が招いてくださるものなら誰にでも、与えられているものなのです。」だから私も神に愛されている。だから私までも神の子とされている。
私はイスラエルの家、およびユダの家と新しい契約を結ぶ。(エレミヤ書31:31)
(ペトロの言葉)この約束は、あなたがたにも、あなたがたの子どもたちにも、また遠くにいるすべての人にも、つまり、私たちの神である主が招いてくださるものなら誰にでも、与えられているものなのです。(使徒2:39)
新しい契約、と主なる神さまは言われます。神さまが私たちに手を伸ばし、神さまが御自ら私たちをご自分の子とし、私たちを愛してくださった。それが「新しい契約」の中身です。私たちの立派な信仰とか、私たちの立派な行いとか、私たちの熱心な態度が生み出すのではない。神さまが働き、神さまが私たちをご自分のものとしてくださる。そういう神さまからの一方的な約束を結ぼう、と主は言われます。
聖書のすごいところは、そういう良い知らせがすべての人を対象にしている、ということです。どんな人であっても神様の愛と慈しみの対象外という人はないのです。「この約束は、あなたがたにも、あなたがたの子どもたちにも、また遠くにいるすべての人にも、つまり、私たちの神である主が招いてくださるものなら誰にでも、与えられているものなのです。」だから私も神に愛されている。だから私までも神の子とされている。
私たちが生きているのは、神さまの愛の物語です。自己責任の物語とか、自助努力の物語に生きているのではないのです。私たちは私たちを一方的に、どんな私でも愛してくださった方の愛の物語に生かされている。その事実の中に、私たちは自分を発見します。私たちのアイデンティティは、神さまが新しい契約の相手としてくださった私、なのです。