2020年2月6日木曜日

2020年2月6日(マタイによる福音書26:47~75)

マタイによる福音書26:47~75;
「しかし、すべてこうなったのは、預言者たちの書が実現するためである。」主イエス・キリストは、預言者たちを通して語られた聖書の言葉が実現するようにと、歩んでこられました。それは主イエスの誕生のときからでした。マリアが身ごもって男の子を産むということも、ユダのベツレヘムに生まれたことも、ヘロデの手を逃れてエジプトに降ったことも。そこから始まって、主の歩む道の随所に、預言者を通して言われたことが実現するためであったという福音書記者マタイの注釈が入ります。そして、ここでは、主ご自身が「預言者たちの書が実現するためである」と言われるのです。
この時、祭司長たちや民の長老たちが使わした者たちが、剣や棒を持ってイエスのところへやって来ました。逮捕するために、ユダに率いられてきたのです。弟子たちは応戦します。しかし、イエスは彼らに言われます。「剣を鞘に収めなさい。剣を取る者は皆、剣で滅びる。私が父にお願いできないとでも思うのか。お願いすれば、父は十二軍団以上の天使を今すぐ送ってくださるであろう。しかしそれでは、必ずこうなると書いてある聖書の言葉がどうして実現されよう。」主イエスには、預言者たちを通して語られたことを無視することもできました。逆らうことは可能でした。しかし、御自らこれを選んで、その道へと進まれます。預言者たちを通して語られたことが実現するために。
預言者たちは、一体何を語ったのか。ここでイエスがどの聖書の言葉を思い起こしておられたのかは分かりません。しかしここで主がしていることは、逮捕されることを甘んじて受け入れ、十字架に向かっていくということです。思えばマリアから生まれてきたことも、ベツレヘムで生まれたことも、ヘロデが支配する世界におられたことも、それらはすべて十字架への道です。ご自分が十字架に掛けられて成就する救いのために、イエスはその道を受け入れておられるのです。
ペトロは、その番、大祭司の家の中庭でイエスを知らないと三度繰り返して口にしてしまいました。それからイエスの「鶏が鳴く前に、あなたは三度、私を知らないと言うだろう」という主イエスの言葉を思い出して、泣きました。聖書の言葉に従って十字架へと進んで行かれるイエス・キリスト。そして、イエスの言葉を軽んじ、結局はその通りの罪を犯し、泣き崩れるペトロ。イエスはそのようなペトロや私たちのために、聖書に記された神様の御心に従っておられるのです。このお方が私たちの救い主です。

2024年4月26日の聖句

神を畏れ、その戒めを守れ。これこそ人間のすべてである。(コヘレト12:13) (イエスの言葉)「第一の戒めは、これである。『聞け、イスラエルよ。私たちの神である主は、唯一の主である。心を尽くし、魂を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』第二の戒めは...