2021年10月3日日曜日

2021年10月3日の聖句

主は言われた:あなたは自分で労することも育てることもせず、ただ一夜にして生じ、一夜にして滅びたこのとうごまさえ惜しんでいる。それならば、どうして私が、この大いなる都ニネベを惜しまずにいられるだろうか。(ヨナ4:10~11)
主は憐れみに満ち、慈しみ深い方です。(ヤコブ5:11)

「主は憐れみに満ち、慈しみ深い方です。」まさに、神さまの憐れみは私たちには想像もできないほどに深く、高く、広く、長いものです。私たちからしたら常識外れなほどに、破格な愛です。
旧約聖書のヨナ書が今日の第一の聖書箇所としてあげられています。預言者ヨナは、当時の人物としては常識的な、普通の人でした。ニネベに行って、悪を悔い改めるように言え、と神さまに命じられました。しかしヨナはこれを拒んだ。なぜなら、ニネベが嫌いだったからです。ニネベを憎んでいた。ニネベはアッシリアという国の首都です。アッシリアといえば、やがてイスラエル王国を滅ぼすことになる大国です。すでにヨナや彼を含むイスラエルの人々にとってアッシリアは世界の覇権を握る超大国であり、自分たちがアッシリアを前にして風前の灯であることは明らかだったと思います。憎んでも憎みきれない敵なのです。だから、ヨナはアッシリアの首都であるニネベになど行きたくはなかった。神の命令を拒み、船によって逃げようとしましたが、嵐に遭ったり魚に食べられたりして、結局ニネベに行くことになります。神に命じられたとおり、ニネベの人々に悔い改めを迫った。するとニネベの人々はヨナの言葉を受け入れ、自分たちの悪を悲しみ、神の前にへりくだったのでした。
ヨナからすれば旅の目的が達成されたわけですが、ヨナは怒ります。「わたしには、こうなることが分かっていました。あなたは、恵みと憐れみの神であり、忍耐強く、慈しみに富み、災いをくだそうとしても思い直される方です。」つまり、ヨナはニネベの人々が悔い改めずに神に裁かれて死ねば良いと思っていた。自分がここに来て悔い改めを求めたことでニネベの人々が本当に悔い改めてしまったことが許せなかったのです。
ヨナは丘に上がって、これからニネベがどうなるのか見物し始めました。しかし、ひどい日照りで苦しかった。そこで神がとうごまの木を生えさせて、ヨナのための日陰を作ってやりました。しかし翌日、神さまは虫に木を食わせて枯らしてしまわれた。ヨナは神に怒りをぶつける。この怒るヨナに神が答えたのが、今日の御言葉です。「あなたは自分で労することも育てることもせず、ただ一夜にして生じ、一夜にして滅びたこのとうごまさえ惜しんでいる。それならば、どうして私が、この大いなる都ニネベを惜しまずにいられるだろうか。」私たちの思いをはるかに超える神の憐れみは、私が敵だと思っている人にも向かいます。それは当然だと神さまはおっしゃいます。だからこそ、私のような者さえも神の憐れみの中に入れられているのです。

2024年4月19日の聖句

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