塵や灰に過ぎない私ですが、あえてわが主に申し上げます。(創世記18:27)
女は言った。「主よ、ごもっともです。でも、小犬も主人の食卓から落ちるパン屑はいただきます。」(マタイ15:27~28)
私たちの祈りの心、それは今日のアブラハムの言葉そのものです。「塵や灰に過ぎない私ですが、あえてわが主に申し上げます。」神さまの前で、塵や灰に過ぎない私。しかし、そんな取るに足りないつまらない私が神に祈ることを許されています。神はこんな私の祈りを待っていてくださる。神さまの愛と憐れみに信頼して、私たちは大胆にも天地を造られた神に祈ります。
今日の新約に登場する女も、大胆な人です。大胆に主イエスに詰め寄り、説得しました。「主よ、ごもっともです。でも、小犬も主人の食卓から落ちるパン屑はいただきます。」ユダヤ人にとっての「犬」は汚れた動物です。日本語では「小犬」というととてもかわいいイメージですが、聖書の世界ではそうではありません。主イエスの前で私は取るに足りない小犬に過ぎない。神の憐れみを要求できるような私ではない。しかし、彼女は大胆に主イエスに訴えます。「主よ、ごもっともです。でも、小犬も主人の食卓から落ちるパン屑はいただきます。」
私たちも、大胆に祈りましょう。自分の小ささやつまらなさ、罪や汚れに意気阻喪してしまうことなく、祈ることにおいては大胆でありましょう。神さまは私たちが祈ることを待っていてくださるし、喜んでくださる。憐れみ深いお方なのです。
女は言った。「主よ、ごもっともです。でも、小犬も主人の食卓から落ちるパン屑はいただきます。」(マタイ15:27~28)
私たちの祈りの心、それは今日のアブラハムの言葉そのものです。「塵や灰に過ぎない私ですが、あえてわが主に申し上げます。」神さまの前で、塵や灰に過ぎない私。しかし、そんな取るに足りないつまらない私が神に祈ることを許されています。神はこんな私の祈りを待っていてくださる。神さまの愛と憐れみに信頼して、私たちは大胆にも天地を造られた神に祈ります。
今日の新約に登場する女も、大胆な人です。大胆に主イエスに詰め寄り、説得しました。「主よ、ごもっともです。でも、小犬も主人の食卓から落ちるパン屑はいただきます。」ユダヤ人にとっての「犬」は汚れた動物です。日本語では「小犬」というととてもかわいいイメージですが、聖書の世界ではそうではありません。主イエスの前で私は取るに足りない小犬に過ぎない。神の憐れみを要求できるような私ではない。しかし、彼女は大胆に主イエスに訴えます。「主よ、ごもっともです。でも、小犬も主人の食卓から落ちるパン屑はいただきます。」
私たちも、大胆に祈りましょう。自分の小ささやつまらなさ、罪や汚れに意気阻喪してしまうことなく、祈ることにおいては大胆でありましょう。神さまは私たちが祈ることを待っていてくださるし、喜んでくださる。憐れみ深いお方なのです。