今日は「世界聖餐日」という日曜日です。世界中の教会が覚えています。これは1946年に大戦の深い傷跡の後で世界中の教会が聖餐を通してキリストにあって一致しようと定められました。今日聖餐を祝うとき、私たちは一体何をするのでしょうか。私には思い出深い聖餐があります。去年の6月にコロンビアで祝った聖餐です。カンバーランド長老教会の総会でのことで、私も配餐のお手伝いをしました。コロンビアと言えば、先月52年間続いた内戦について、政府とゲリラ軍が和平文書に調印したばかりです。この合意を認めるかどうかの国民投票がまさに今日あると聞いています。12時間もすればコロンビアの教会は神を礼拝し、そして、その後それぞれに投票に向かうことでしょう。この内戦では20万人以上が殺害されたそうです。2000年間、聖餐はこのように痛む世界の中で祝われ続けてきました。聖餐は主イエスが十字架にかけられる前の晩に弟子たちと一緒に召し上がった食事に由来します。その席で主がパンをとって切り裂き、おっしゃった。「これは、あなたがたのためのわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい。」記念というのは思い起こすという意味の言葉です。私たちは聖餐を祝う度に思い起こします。キリストの肉が十字架の上で裂かれたことを。血が流されたことを。キリストがかけられている十字架が、私たちの生きるこの大地に、この痛み、呻き、苦しむ大地に立てられているのです。キリストは徹底して私たちと共にいてくださいます。誰よりも低い場所、十字架にまでへりくだってくださいました。なぜ、キリストは十字架にかけられたのか。聖餐は最後の晩餐の記念ですが、その夜のことは「引き渡される夜」と書かれています。この「引き渡す」という動詞は例えばマタイ第26章に集中しています。「人の子は、十字架につけられるために引き渡される(2)。」ユダは「あの男を引き渡せば、幾らくれますか(15)」と言いました。銀貨30枚の約束をします。また、47,48節でユダが「イエスを裏切ろうとしていた」と言われている「裏切る」も同じ動詞です。12弟子の一人であるユダがイエスを裏切り、それが決定的な契機になってイエスは十字架にかけられました。たったの銀貨30枚のために。しかし、改めて考えると、世の中何でもお金に換算されます。人間関係に損得を計算するのも同じでしょう。人のことで時間の無駄が気になってしまうのも、同じだと思います。そもそも、裏切ったのはユダ一人ではありません。一番弟子のペトロを初めとして全員がイエスを見捨てました。私はずっとペトロが他人とは思えませんでした。ペトロがイエスを裏切った話は私のことだと思います。イエスを十字架にかけえたのはユダであり、ペトロであり、私であり、あなたです。キリストを十字架にかけたのは私たちの罪です。キリストの十字架は私たちの罪が痛めつけるこの世界の大地に立っているのです。しかし、思いがけないことが起こります。十字架にかかったイエスが甦り、弟子たちと出会った後に、彼らは福音を伝える者になりました。「わたしがあなたがたに伝えたのは(Iコリ11:23)」の「伝える」は件の「引き渡す、裏切る」と同じ動詞です。キリストを引き渡した人間が、福音を伝え、聖餐のパンを手渡す者になりました。それは、神御自身が御子イエスを惜しまずに死に渡そうと決意なさったからです。神は私たちをこの世界の中で必ず救ってくださいます。
2025年9月4日の聖句
あなたを助ける父の神により、あなたを恵まれる全能者による。(創世記49:25) 福音は、信じる者すべてに救いをもたらす神の力です。(ローマ1:16) 今日の旧約の御言葉は、25節全体を含めて見ると聖書協会共同訳ではこのように翻訳されています。「お前を助ける父の神から、お前を祝福す...
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1. ヨハネによる福音書は最後の晩餐の場面をとても長く書いている。全部で21章の福音書の内の5章、4分の一に近い。しかも、いわゆる受難週の記事の殆どがこの晩餐の場面だ。その最後の晩餐を覚える祈祷会をこの木曜日に献げている。キリストがしてくださったように私たちもするのだ。主が...
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さがみ野教会の皆さま おはようございます。 気持ちのいい、爽やかな秋空の朝を迎えました。お変わりなくお過ごしでしょうか。 明日14日の日曜日の礼拝は成長感謝礼拝(子ども祝福式)です。 讃美歌や説教などが子ども向けのものとなり、大人と子どもとが共に神さまを礼拝し、子どもたちへの祝福...
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(主の言葉)恐れるな、アブラムよ。私はあなたの盾である。あなたの受ける報いは非常に大きい。(創世記15:1) こうして、アブラハムは忍耐の末に、約束のものを得ました。(ヘブライ6:15) 「恐れるな。」神さまは私たちに語りかけてくださいます。「恐れるな!」 しかも、もったいないこ...