主は心に留められる
主の契約をとこしえに
命じた言葉を幾千代に。(詩編105:8)
神の約束はすべて、この方において「然り」となったからです。それで、私たちはこの方を通して神に「アーメン」と唱え、栄光を帰するのです。(2コリント1:20)
私たちの信仰の要は、神さまの御言葉です。神の言葉を聞くことで、信仰が与えられます。神の言葉に従うことで、キリスト者として生きることができます。御言葉は私たちのために与えられた羅針盤です。御言葉にいつも聞き、心に留め、そして御言葉に従いたい。そう願います。
しかし、私たちはいつも悩みます。自分は忘れっぽいし、他の声が気になってしまいます。御言葉をいつも聞ければ良いかもしれない、御言葉に従えれば一番よいだろう。でも、実際の私はそうではない。
そのような私たちのつぶやきを、もう何千年も前から聖書はよく知っていました。「主は心に留められる、主の契約をとこしえに、命じた言葉を幾千代に。」ここで聖書が言うのは、御言葉を本当に心に留めているのは私たちではなく主だ、ということです。私たちが主の言葉をちゃんと守っている、ずっと忘れないでいる、ということではありません。主は、ご自分の御言葉を幾先代にわたってお忘れになることなく、主はご自分が立てた契約をとこしえに心に留めていてくださる。私は忘れっぽいし不誠実だしどうしようもないけれど、主はそうではない。主はご自分の言葉への誠実を貫いてくださる。
主は、永遠の「然り」となってくださいました。ご自分の慈しみに、ご自分の平和に、ご自分の愛に、とこしえに「アーメン」を貫いてくださる。私たちの救いは、真実そのものでいらっしゃる神だけです。
主の契約をとこしえに
命じた言葉を幾千代に。(詩編105:8)
神の約束はすべて、この方において「然り」となったからです。それで、私たちはこの方を通して神に「アーメン」と唱え、栄光を帰するのです。(2コリント1:20)
私たちの信仰の要は、神さまの御言葉です。神の言葉を聞くことで、信仰が与えられます。神の言葉に従うことで、キリスト者として生きることができます。御言葉は私たちのために与えられた羅針盤です。御言葉にいつも聞き、心に留め、そして御言葉に従いたい。そう願います。
しかし、私たちはいつも悩みます。自分は忘れっぽいし、他の声が気になってしまいます。御言葉をいつも聞ければ良いかもしれない、御言葉に従えれば一番よいだろう。でも、実際の私はそうではない。
そのような私たちのつぶやきを、もう何千年も前から聖書はよく知っていました。「主は心に留められる、主の契約をとこしえに、命じた言葉を幾千代に。」ここで聖書が言うのは、御言葉を本当に心に留めているのは私たちではなく主だ、ということです。私たちが主の言葉をちゃんと守っている、ずっと忘れないでいる、ということではありません。主は、ご自分の御言葉を幾先代にわたってお忘れになることなく、主はご自分が立てた契約をとこしえに心に留めていてくださる。私は忘れっぽいし不誠実だしどうしようもないけれど、主はそうではない。主はご自分の言葉への誠実を貫いてくださる。
主は、永遠の「然り」となってくださいました。ご自分の慈しみに、ご自分の平和に、ご自分の愛に、とこしえに「アーメン」を貫いてくださる。私たちの救いは、真実そのものでいらっしゃる神だけです。