さあ、ひれ伏し、身をかがめよう。
私たちを造られた方、主の前にひざまずこう。(詩編95:6)
そして、イエスの足元にひれ伏して感謝した。この人はサマリア人だった。(ルカ17:16)
主イエスがエルサレムに向かう旅をしておられた途上で、10人の皮膚の病にかかった人たちと出会われました。この病は律法で規定されているもので、彼らは村に入って普通の社会生活をすることが許されず、誰かが側に来そうになったら「私は汚れています」と叫んで遠ざけなければなりませんでした。「汚れ(けがれ)」というのは「きたない」という身ではなく、祭儀の上でのタブーに触れるという意味です。(「穢れ」と表記しても良いかも知れません。)ですから単に体が良くなると言うだけではなく、この病の回復の認定は祭司によらなければならない、とされていました。彼らは社会的にも信仰的にも、非常に辛い立場に立たされていた人たちでした。
私たちを造られた方、主の前にひざまずこう。(詩編95:6)
そして、イエスの足元にひれ伏して感謝した。この人はサマリア人だった。(ルカ17:16)
主イエスがエルサレムに向かう旅をしておられた途上で、10人の皮膚の病にかかった人たちと出会われました。この病は律法で規定されているもので、彼らは村に入って普通の社会生活をすることが許されず、誰かが側に来そうになったら「私は汚れています」と叫んで遠ざけなければなりませんでした。「汚れ(けがれ)」というのは「きたない」という身ではなく、祭儀の上でのタブーに触れるという意味です。(「穢れ」と表記しても良いかも知れません。)ですから単に体が良くなると言うだけではなく、この病の回復の認定は祭司によらなければならない、とされていました。彼らは社会的にも信仰的にも、非常に辛い立場に立たされていた人たちでした。
彼らは遠くから主イエスに向かって叫びました。「イエス様、先生、私たちを憐れんでください。」主イエスはその叫びを聞いておっしゃいました。「行って、祭司たちに体を見せなさい。」彼らはそこへ行く途中、体が癒やされたことを知りました。9人は祭司のところに行きましたが、その中の一人だけが主イエスのところへ戻って来ました。「そして、イエスの足元にひれ伏して感謝した。この人はサマリア人だった。」
サマリア人は、主イエスご自身や弟子たちがそうであったユダヤ人とはたいへん仲が悪く、普通であれば絶対に付き合わない間柄です。しかし、そのようなこととは関係なく彼は主イエスさまに感謝を献げたし、主イエスさまは彼を癒やし、またその感謝を受け入れてくださいました。人種や国を超えるものがここにあります。
今日は8月15日です。特別な日付です。今日、私たちに与えられた御言葉は一人のサマリア人の主イエスとの出会いの物語でした。主の前にひれ伏し、ひざまずくのに国家の隔ては本来ないはずです。主イエスさまの救いの御業はどのような障壁をも乗り越えるからです。私たちは今この壊れた世界でどうやって神の民として生きるのでしょうか?
サマリア人は、主イエスご自身や弟子たちがそうであったユダヤ人とはたいへん仲が悪く、普通であれば絶対に付き合わない間柄です。しかし、そのようなこととは関係なく彼は主イエスさまに感謝を献げたし、主イエスさまは彼を癒やし、またその感謝を受け入れてくださいました。人種や国を超えるものがここにあります。
今日は8月15日です。特別な日付です。今日、私たちに与えられた御言葉は一人のサマリア人の主イエスとの出会いの物語でした。主の前にひれ伏し、ひざまずくのに国家の隔ては本来ないはずです。主イエスさまの救いの御業はどのような障壁をも乗り越えるからです。私たちは今この壊れた世界でどうやって神の民として生きるのでしょうか?