私の魂よ、主をたたえよ。
そのすべての計らいを忘れるな。(詩編103:2)
いつも、あらゆることについて、私たちの主イエス・キリストの名により、父なる神に感謝しなさい。(エフェソ5:20)
「主をたたえよ」と自分自身に呼びかけるときに、その根拠として「そのすべての計らいを忘れるな」と言っています。主がしてくださったすべてのこと、主の計らいを忘れることなく心に留めよ、そのゆえに主を賛美せよと言います。主がしてくださったこと、主の御業、主の恵み深いお取り扱いを心に留め続けるならば、そこに賛美が生まれるはずだ、と言うのです。
改めて考えたとき、私は、その点で自分がたくさんのことを見逃していると思わないわけにはいきません。主の恵みは私の周りにたくさんあるはずなのに、それに気付かず、主をたたえることの乏しい自分なのです。心柔らかく気付き、心軽やかに記憶する霊性がほしいと心から願います。
「いつも、あらゆることについて、私たちの主イエス・キリストの名により、父なる神に感謝しなさい。」
いつも、あらゆることについて感謝できるはずなのです。キリストの御名で、というところがポイントでしょう。キリストにあって神さまが私たちにしてくださっていることをよく心に留め、主を賛美し、感謝に満ちた一日を過ごしたいと願います。
そのすべての計らいを忘れるな。(詩編103:2)
いつも、あらゆることについて、私たちの主イエス・キリストの名により、父なる神に感謝しなさい。(エフェソ5:20)
「主をたたえよ」と自分自身に呼びかけるときに、その根拠として「そのすべての計らいを忘れるな」と言っています。主がしてくださったすべてのこと、主の計らいを忘れることなく心に留めよ、そのゆえに主を賛美せよと言います。主がしてくださったこと、主の御業、主の恵み深いお取り扱いを心に留め続けるならば、そこに賛美が生まれるはずだ、と言うのです。
改めて考えたとき、私は、その点で自分がたくさんのことを見逃していると思わないわけにはいきません。主の恵みは私の周りにたくさんあるはずなのに、それに気付かず、主をたたえることの乏しい自分なのです。心柔らかく気付き、心軽やかに記憶する霊性がほしいと心から願います。
「いつも、あらゆることについて、私たちの主イエス・キリストの名により、父なる神に感謝しなさい。」
いつも、あらゆることについて感謝できるはずなのです。キリストの御名で、というところがポイントでしょう。キリストにあって神さまが私たちにしてくださっていることをよく心に留め、主を賛美し、感謝に満ちた一日を過ごしたいと願います。