2022年8月31日水曜日

2022年8月31日の聖句

イスラエルよ、主を望め。主のもとには恵みがあり、豊かに救いが主のもとにはある。(詩編130:7)
神はあなたがたに、あらゆる恵みをあふれるばかりに与えることがおできになります。あなたがたが、いつもすべてのことに満ち足りて、すべての良いわざにあふれるようになるためです。(2コリント9:8)

「神はあなたがたに、あらゆる恵みをあふれるばかりに与えることがおできになります。」あらゆる恵みを、あふれるばかりに。この御言葉を聞いて、どのように思われるでしょうか。神があなたに与えておられる恵みは、あなたが必要とするあらゆる恵みであり、それはあふれるほどに与えられている。聖書はそのように言います。あらゆる、とまで言えるのか?本当にあふれているのか・・・と思われるかも知れません。
この御言葉は6節から続いています。「惜しんで僅かに蒔く者は、僅かに刈り取り、豊かに蒔く者は、豊かに刈り取るのです。・・・喜んで与える人を神は愛してくださるのです。」種をケチってあまり蒔かなければ、当然、収穫は少ない。たくさん蒔けばたくさん刈り取ることができる。それと同じように、あなたたちは惜しまずに人に与えなさい、と言っています。神はあらゆる恵みを、あふれるほど与えることがおできになるから、と言うのです。
神の「恵み」という言葉を使っていることに注意したいと思います。「恵み」ということは、それが信仰に属するということです。報酬とか御利益とは言っていません。神が何の価もなしに、無条件にくださる恵み。それはあなたに満たされている。そのことを信じて、与えられたものを無条件に与えてほしい、と聖書は言うのです。これは信仰に属すること。
ですから、今日の旧約聖書は言っています。「イスラエルよ、主を望め。主のもとには恵みがあり、豊かに救いが主のもとにはある。」主を待ち望むことも、豊かな救いを期待することも、信仰の事柄です。神は必ず豊かな恵みを与え、あふれるほどに恵みをくださる。いや、既にくださっている。その事実に目が開かれ、それを信じるとき、私たちの生き方は変わります。

2022年8月30日火曜日

2022年8月30日の聖句

モーセが手を海へ伸ばすと、主は強い東風で海を押し戻された。(出14:21)
信仰によって、人々は乾いた陸地をいくのと同じように紅海を渡りました。(ヘブライ11:29)

エジプトで奴隷にされていたヘブライ人たちの助けを求める叫びを聞き、主なる神さまはモーセをお遣わしになりました。モーセと民はエジプトを出ましたが、出したことを後悔したファラオがエジプトの軍勢を率いて荒れ野を行くヘブライ人たちを追ってきます。ところが、一行の目の前には海が広がっている。絶体絶命のとき、神がモーセにお命じになりました。「あなたは自分の杖を挙げ、海に向かって手を伸ばし、海を二つに分けなさい。そうすれば、イスラエルの人々は海の中の乾いた所を進んでいける」(出14:16)。そして「モーセが手を海へ伸ばすと、主は強い東風で海を押し戻された。」こうしてヘブライ人たちは海の中に現れた乾いた道を通って行くことができました。そして、追撃してきたエジプト軍は海に飲み込まれてしまったのです。
神さまは海の中であっても新しい道を拓いてくださいます。私たちはそれを信じるのでしょうか?「信仰によって、人々は乾いた陸地をいくのと同じように紅海を渡りました。」信仰によって、と書かれています。信仰がなければ、例え海が風に押し戻されて道が生まれても、そこを通ろうとはしないでしょう。神さまを信じ、信頼しているから、海の中の道だって通ることができる。信じるというのは尊いし、強さでもあります。
私たちの生きている社会は、信仰の価値をほとんど認めなくなってしまいました。しかし私たちは多数におもねるのではなく、永遠なる神さまの御前に本当に尊いことは何かを心静かに見極めたいと思います。神さまは、例えそこに海があっても新しい道を拓いてくださいます。あなたは、そのことを信じますか。今日、私たちは再び新しく信仰に招かれています。

2022年8月29日月曜日

2022年8月29日の聖句

おはじめください、神よ、あなたのすべき事柄をなさってください。(詩編74:22)
神は私たちにご自分の意志の奥義を、前もってキリストにおいてお決めになった神意に従い、知らせてくださいました。時が満ちて、すべて天と地にあるものが、キリストにあって、キリストを通して一つにされるためです。(エフェソ1:9~10)

あなたのすべき事柄をなさってください、神さまどうか始めてください。そのように祈っています。神さまのすべきことを始めてください。ずいぶん大胆な祈りのように感じます。それに、神さまがすべきことというのは何のことなのでしょうか。
それについて、今日の新約聖書のエフェソの信徒への手紙の言葉に耳を傾けています。「神は私たちにご自分の意志の奥義を、前もってキリストにおいてお決めになった神意に従い、知らせてくださいました。」神さまはご自分のご意志を、主イエス・キリストにおいてお決めになり、またキリストにおいて私たちに知らせてくださった。ですから、私たちは主イエス・キリストに注目すれば神さまの御心が分かる、ということになります。私たちはキリストに目を注ぐとき、神さまご自身のなすべき事柄が一体何なのかが分かる、というのです。
それでは、キリストにあって示してくださった神さまのご意志は一体何か、何を目指した奥義なのか。使徒パウロは続けてこのように書きます。「時が満ちて、すべて天と地にあるものが、キリストにあって、キリストを通して一つにされるためです。」キリストにあって、キリストを通して、すべて天と地にあるものが一つにされる。時が満ちて、すべてのものが一つにされるときが来る、と言っています。
私たちの世界の現実はそれとは正反対です。人と人とが反目し、人は自然から搾取しようとしてしっぺ返しを食らい、ありとあらゆるところで「一つ」とはほど遠い現実が世界に満ちています。しかし神さまは、私たち天と地の下にいるすべてのものをキリストにあって、キリストを通して一つにしてくださる。その御心を果たすために、今日も働いてくださる。聖書はそのように宣言します。私たちを敵対ではなく和解へ、憎しみではなく愛をもたらすキリストの御業は、もうすでに始まっているのです。

2022年8月28日日曜日

2022年8月28日の聖句

告知せよ、この方の栄光を国々の間で
あらゆる民の間に
この方の不思議な業を。(詩編96:3)
パウロは書く:私たちのために祈ってください、神の言葉のために門を私たちに開けてくださるように。(コロサイ4:3)

あらゆる民の間に神の栄光が告知されなければならない。そのために、神が門を開き、すべての妨げがなくなるように祈ってください、と聖書は言います。神さまの栄光が、主イエス・キリストの福音が、すべての人に証しされ、宣べ伝えられますように。それが主イエスさま御自身の命令でもあり、パウロを初めとした使徒たちの仕えた業です。
今日は日曜日です。世界中の教会が神さまを礼拝します。私たちの礼拝は神さまの御言葉に聞くことによって献げられます。福音が告知され、神さまの不思議な御業を覚え、神さまが私たちの口に与えてくださる賛美をささげ、私たちは神さまを礼拝します。この方を愛し、礼拝を献げる信仰を神さまが与えてくださっていることを信じて、私たちは神さまの御前に礼拝を献げます。
今日、世界中の教会が献げるこの営みに神さまの祝福がありますように、私たちも祈りましょう。すべての門が開きますように。あらゆる障壁が取り除かれて福音が証しされ、世界中でキリストの御業がたたえられますように。そして私たちもそのような営みを神さまに心を込めて献げることができますように。
主イエス・キリストの恵みと平和に生かされ、神さまの御前に献げる私たちの祈りに、神さまの祝福がありますように。

2022年8月27日土曜日

2022年8月27日の聖句

主よ、あなたは、憐れみを私から背けようとなさらないでください。あなたの恵みとまことがいつも私を守ってくださいますように。(詩編40:12)
あなたがたを召された方は真実ですから、そのようにしてくださいます。(1テサロニケ5:24)

今日の旧約聖書の詩編第40編は苦しみの中から神を賛美し、神に祈る祈りの言葉が連ねられています。例えば3から4節では、「主は私を滅びの穴、泥沼から引き上げて、私の足を岩の上に立たせ、歩みを確かなものとし私の口に新しい歌を、我らの神への賛美を授けてくださった」と言っています。苦しみの日、悲しみの日にも神さまへ献げる賛美は変わらない。それは神様ご自身が私の口に新しい歌を与えてくださるから。
神が与えてくださった新しい歌を献げ、神に祈り、この人は言います。「主よ、あなたは、憐れみを私から背けようとなさらないでください。あなたの恵みとまことがいつも私を守ってくださいますように。」主なる神さまの憐れみを求め、主の慈しみを慕い求め、神さまに祈っています。
私たちは、苦しみの日、悲しみの日にも神さまに祈り、神さまに望みを置き、神さまを賛美します。神さまの憐れみを知っているから。神さまの慈しみを知っているからです。この方こそ、私に命を与えてくださるお方。
「あなたがたを召された方は真実ですから、そのようにしてくださいます。」神さまの憐れみは、神様ご自身の真実にかかっています。だからこそ、どんなときにも確かです。盛暑にはこのように書いてあります。「私たちが真実でなくても、この方は常に真実であられる。この方にはご自身を否むことはできないからである」(2テモテ2:13)。主イエス・キリストの真実が、今日も私たちを生かしてくださるのです。だから、私たちは今日も神が与えてくださった新しい歌を歌います。

2022年8月26日金曜日

2022年8月26日の聖句

主に歌え、その名を称えよ、日から日へとその救いを告げ知らせよ。(詩編96:2)
知恵を尽くして互いに教え、諭し合い、詩編と賛歌と霊的な歌により、感謝して心から神をほめたたえなさい。(コロサイ3:16)

神を賛美し、ほめたたえるために、私たちは造られ命を与えられました。私たちも、この世界も。
詩編には賛美が溢れています。「天は神の栄光を語り、大空は御手の業を告げる(詩19:2)」という詩編の言葉は、忘れがたい高らかな賛美です。この世界の天も大空も、神さまを賛美し、神さまをほめたたえて歌っている。
「あなたは天上の威厳をこの地上に置き、幼子と乳飲み子の口によって砦を築かれた(詩8:2~3)」という言葉も、忘れがたいものです。幼子のたどたどしい言葉や乳飲み子の喃語も、やっぱり神さまをほめたたえて歌っている。神さまは小さな子どものご自分への賛美を耳を拡げて聞いてくださるお方です。
「主に歌え、その名を称えよ、日から日へとその救いを告げ知らせよ。」私たちも、日から日へと、神さまのすばらしさを語り伝え、神さまをほめたたえて、神さまの救いの御業を喜びましょう。私たちは神さまを賛美するために造られたのです。
「知恵を尽くして互いに教え、諭し合い、詩編と賛歌と霊的な歌により、感謝して心から神をほめたたえなさい。」この言葉は、賛美が個人的で孤独な業ではなく、私たちの共同の業であることを深く教えています。互いに教え、語り合う。そういう営みの中で神を賛美する賛美の歌が生まれ、賛美共同体として私たちは調えられていくのです。神を賛美する時、私たちは教会の仲間とも、神のみもとにいる聖徒たちとも連なっています。
主イエス・キリストと父なる神、聖霊なる神様に栄光と誉れがありますように。アーメン!

2022年8月25日木曜日

2022年8月25日の聖句

私は神に呼びかける、主は私を救ってくださる。(詩編55:17)
これからも救ってくださるに違いないと、私たちは神に望みを置いています。あなたがたも祈りによって、私たちに協力してください。(2コリント1:10~11)

主は私を救ってくださる。これが私たちの望みであり、私たちの確信です。主は私たちを救ってくださる。私たちはそのことを信じています。神さまはこの確信を決して裏切りません。神は必ず私たちを救ってくださる。
主イエス・キリストこそ、その確かなしるしです。キリストは神の愛そのもの。神さまが私たちを愛してくださっていることは、神が私たちのために独り子を与えてくださった事実から始まります。私たちの確信も、私たちの望みも、私たちの信仰も、すべてはキリストによって示された神の愛から始まります。キリストの愛が確かだから、私たちの信じることも確かだと希望を抱くことができる。
この前の日曜日の週報にも書きましたが、平成34年が今年だと気づかずに運転免許を失効してしまいました。失効後半年以内であれば救済措置があるのですが、それでもいろいろと不利益を蒙りました。しかし、そもそも自分の不注意がいけないので、誰に文句を言うこともできません・・・。一事が万事、自分は不確かだなと思います。こういうついうっかりという失敗であればカバーできるかも知れませんが、もっと深刻で、人に迷惑をかけてしまうことだって少なくありません。自分の不確かさは、恐ろしいものです。だからこそ、キリストの確かさは私にとっては本当に尊いものです。キリストの愛の確かさには、ついうっかりがないのです。いつでも、どのようなときにも、絶対であり続ける。
私たちの今日一日の、リアルな希望を、キリストの愛におきましょう。主は私を救ってくださる。その事実は、今日も絶対に変わることがありません。私たちは互いのために祈り、祈ることによって協力し、今日の日を共に生きていきましょう。

2026年8月4日の聖句

(主の言葉)あなたがを鷲の翼の上に乗せ、私のもとに連れて来たことをあなたがたは見た。(出エジプト記19:4) これからも救ってくださるに違いないと、私たちは神に望みを置いています。(2コリント1:10) 今日の旧約聖書の御言葉は、エジプトという奴隷の家から解放してくだ...